そこかしこから涙をすする音

進化といえば聞こえはいいが、“ある時期までファンだった”という声が多いのは、それゆえだろう。長渕を敬愛し完コピで再現するアーティストTakuya Nagabuchiの表現を借りれば、長渕剛の変遷は大きく分けて、

  • フォークアイドル期(1978~84年)
  • ロックバンド期(1985~90年)
  • カリスマボイス期(1991~2000年)
  • 生涯現役期(2001~現在)

ということになるのだが、ここ20年くらいは古参のファンが、かなり彼から離れていったと聞く。私自身もしかりで、桜島ライブから16年の歳月が経っていた。

そんななか、先述の矢島くんから「久々に長渕行ってみない?」と、04年以来となる長渕のライブ(ツアー初日の横須賀)に誘われた。矢島くんは「アコースティックツアーと銘打ってるし、今回は期待できるかもよ」と言っていたが、私は、あまり過度な期待はせずに会場へ向かった。

▲今回のライブポスター

ところが、である。いざライブが始まってみると、いい意味で完全に期待を裏切られていた。矢島くんや私といった往年のファンが望み続けてきたであろう、バックバンドなし、全編通してアコギ1本で歌い切る、長渕剛本来のライブがそこにあったのだ。

拳の突き上げも、掛け合いもなし。それだけに会場に鳴り響く長渕のギターと歌に、誰もがじっくりと聴き入ることができ、間奏の合間には、そこかしこから涙をすする音が聞こえてきたほど。気がつけば、矢島くんも私も泣いていた。

「こういうライブをやってくれるなら、俺は毎年来るよ!」

帰り際、矢島くんは興奮気味にそう言った。私もまったく同じ感想だった。

▲ようやくエンタメ業界にも光明が

もちろん、私たちの意見は単に好みの問題であって、ロックアレンジの長渕のライブのほうが好きだという人もいるかもしれない。しかし、この原稿を書いている現段階で、長渕のライブ(横須賀、高崎)に行った人の声を見聞きする限り、圧倒的に「ギター1本の長渕に感動した」という声が多いようだ。

本来がそういうスタイルだからこそ、聴衆が声を出せないコロナ禍のライブが、いい形に転じた長渕。やはりギター1本で勝負する姿こそ、この男の真骨頂! と思うのは私だけではあるまい。