文化放送の午後ワイド番組『大竹まこと ゴールデンラジオ!』(平日午後1時00分~3時30分放送)。「“面白い”けれど“真剣に”、“くだらない”けれど“正直に”」をテーマにしたこの番組は、今年の4月で放送16年目に突入する、文化放送の看板番組だ。
番組のパーソナリティーを務めるのはもちろん、大竹まこと。テレビでの暴れん坊な振る舞いや、多くの芸人に影響を与えたコントユニット、シティーボーイズでの活動とはまた違った顔を見せるラジオでの大竹まことは、老若男女、幅広い層からの支持を得ている。そんな彼に、リスナーとしてのラジオ体験や、ラジオでの自身のスタンスなどを伺った。
ラジオDJになりたかった学生時代
――ゴールデンラジオが、今年の4月で16年目を迎える長寿番組ということもあり、ラジオのパーソナリティーとしてお話をされる大竹さんは、皆さんイメージがあると思うのですが、リスナーとしての大竹さんは、どんなラジオを聞いてらしたんでしょうか?
大竹まこと(以下、大竹) そういう方は多いと思うんだけど、高校の頃、受験勉強しながらよく聞いていたね。当時はTBSラジオの『パックインミュージック』をよく聞いていたかな。木曜日の深夜が野沢那智さんと白石冬美さんの“なっちゃん・ちゃこちゃん”コンビだったんだけど、ろくに勉強もしないで聞いていたね(笑)。将来はラジオDJになりたいな、なんてこともぼんやり思ってたな。
――ラジオDJになりたかった、というのは意外でした! 高校生の大竹さんが、そこまでパックインミュージックに心奪われた理由はなんだったんでしょうか?
大竹 なんだろう、どこが良かったのかね?(笑) でも、のちのち自分が劇団に入るってことを考えると、野沢那智さんが劇団をやっていたことも影響してるのかな、って今になって思うね。劇団をやりながらラジオのDJやってるって、“どんな人なんだろう”って考えたり。白石冬美さんの可愛い声を聞きながら”どんな顔してるんだろう“って想像したり。あと金瓶梅っていう、ちょっとエッチなコーナーもあったりして。親は机に向かってりゃ勉強してるって納得するしね。で、見事に大学は落ちた、ハハハハハ!(笑)。
――(笑)。でも、僕も勉強しているフリをしながら、ラジオを聞いていたクチでしたし、そこから学んだことがたくさんあったので、すごくわかります。今でも覚えているのが、大竹さんがTBSラジオの伊集院光さんの『日曜日の秘密基地』にゲストで出られたときに、「他人が面白がらないところを面白がるのが大事なんだよ」って仰ってて。進路に悩んでいる頃だったんですが、人の目を気にして合わせるよりも、自分の面白いと思うことをやってみようと思ったきっかけでした。
大竹 それはそれは……申し訳ないことをしたね(笑)。でも、ラジオって、聞く側の想像力や考える力が高まるっていうのはあるかもしれないね。今でも思い出すけど、“赤・白・ピンク”ってラジオネームのヤツがいて、そいつの投稿がスゲー面白いんだ。そもそも“赤・白・ピンク”って名前もなんだよって(笑)。それで、自分でも投稿してみるんだけど、やっぱり読まれないね。あー、意外と読まれないもんなんだな、なんて思ったり(笑)。バカバカしいコーナーもあれば、ちょっとしんみりしたコーナーもあって、また野沢那智さんの読み方もうまいから、パックインミュージックでラジオの醍醐味を味わったところはあるね。
――その後、ご自身が芸能界に入って、ラジオパーソナリティーになられるわけですが、実際に出演する側になってどうでしたか?
大竹 最初はニッポン放送で番組を持たせてもらったんだけど、こんなに大変なんだって思ったね。その番組をやったあとに、(ビート)たけしさんがフライデー事件を起こして、オールナイトニッポンを休むっていうんで、その代役をやってくれって言われたんだよね、まあ~これも輪をかけて大変だったね、緊張したしねぇ。
――『ビートたけしのオールナイトニッポン』といえば、当時の超人気番組ですもんね。
大竹 うん。最初は残った、たけし軍団のメンバーで回してたんだけど、それも使い切って、俺に白羽の矢が立ったんだよね。俺自身、たけしさんのオールナイトはずっと聞いてたし、“あんな面白いこと言えねえしなぁ”なんて思ったけど、俺は根が高卒のチンピラだから、来た仕事は断らないんだよ(笑)。
――夕やけニャンニャンのコーナーで、イッセー尾形さんの次に大竹さんが抜擢されたときのお話を思い出しました。
大竹 あれもね……当時、俺たちの周りで面白くて、群を抜いて芝居のうまいイッセーが、若い女の子相手に全然ウケなかったから、俺なんかウケるわけない。だったら、降ろされる前に降りてやれ!ってメチャクチャやった、それがなんかウケただけなんだよね。今は見返したくもないね、あまりにも自分のやってることがひどくて(笑)。せめてもの抵抗として、“大竹まこと”じゃなくて“常滑川まこと”名義で出演してた。名前を汚したくなかったから、ハハハ(笑)。
――(笑)。大竹さんは、ラジオのほかにも、テレビにも、そしてシティボーイズとして舞台にも長く立たれてましたが、テレビとラジオの大きな違いとはなんでしょうか?
大竹 テレビって、すごくタイトなんですよ。『TVタックル』に長いこと出演させてもらってて気づいたんだけど、いろいろな有識者の方が来て、“この人、良いこと言ってるな”って思う人でも、オンエアを見たら使われてなかったりする。つまり、話の長いヤツは使われないってことだね。逆に短いセンテンスで、気の利いたことを言うヤツは使われていたね。始まった当時は舛添さんとかね、田嶋陽子さんと喧嘩したりして(笑)。だから俺なんかは、テレビに出たら“3行に一個は笑わせよう”っていうのは思っていたね。
――なるほど、たしかにそう言われて見ると、テレビによく出ている有識者の方はそういうイメージがあります。
大竹 うん、それはタックルに出て気づいたこと。あと、さっき夕焼けニャンニャンの話をしたけれども、テレビに出たての俺ってヒール、つまり悪役だったのね。それは自分が“これをやったら面白いんじゃないか”って思うことがヒール寄りだったってだけなんだけど(笑)、それやっていると嫌われていくよね。でも、正義の味方みたいなことやっててもお金にはならないわけ。だから、ヒールのほうに自分を寄せていく。最初は実像だったけど、もともと持っていた凶暴性にテレビに出てる自分が重なっていく。
――その凶暴性というのは、世間の方が持っている大竹さんのイメージですね。
大竹 そう。本当の俺はそうじゃないけど、それで食えているから、まあそう思ってもらってもいいや、って考えてたのが、デビューしてから長いこと続いていて。それでタックルに出るようになって、ヒールの仮面が剥がれてきたというか、まああれでも十分ヒールだよって言う人もいるだろうけど(笑)、まともなことも言わないといけない番組だからね。自分の中で言うと、最初のヒール的な立ち位置、そしてテレビに出たい、来た仕事は断らないっていうスタンスが、自分の食い扶持になるのかなって思ってたね。