月曜日から金曜日まで毎日放映されている『競輪LIVE! チャリロトよしもと』(BSよしもと)で、金曜日を担当しているのがトータルテンボス。当てることが番組を盛り上げることになると、対策を練って1位を獲りにいく賭け方をしている二人だが、競輪から発展する形で「賭け」や「勝負」に広げ、人生を賭けて挑んだM-1や、結成25周年についても聞いてみた。
M-1後に感じた芸人は「終わりのない道」
――お二人にとって、人生最大の賭けとは?
藤田憲右(以下、藤田) M-1ですかね。
大村朋宏(以下、大村) M-1ですねえ。
――いや、あれは賭けというよりも、全力で打ち込んだんじゃないですか〔注:インタビュアーは彼らのファン〕。
藤田 まあ、これを頑張れば人生変わる、と信じて。全力で乗っかったというか。あとは芸人になるって養成所に入ったときも、賭けになるかもしれないっす。大学辞めて、本当にどうなるかなんてわかんない状態で。
――そのときは勝算はあったんですか?
藤田 勝算は……(大村を見ながら)あったよね? ある程度。
大村 根拠のない勝算でしたけどね。いけるっしょ! みたいな。
藤田 養成所に入っても、周りと比べてそんな劣っていないな、と思ってたよね。
大村 そうだね。そんなに悲観するようなレベルではなかった。これは歯が立たないなって感じはなかったし。
藤田 俺は後輩の芸もよく見るんですけど、見ても「めちゃくちゃ面白くないやつも、いっぱいいるんだな」って感想で(笑)。
大村 そう。だから、それに比べたら全然いけてるなあという感じでした。
――じゃあ、デビューして芸歴を積み重ねながら、これは「終わりのない道」なんだということを知っていった、という感じなんですね。
藤田 「終わりのない道」と思ったのは、M-1終わってからですね。M-1に出れなくなったときに、今までM-1のために漫才やってたのに、なんか燃えつき症候群というか、「なんのために新ネタ作るの?」みたいに思っちゃって。
――そこからどうやって今みたいになっていったのですか? 今のトータルテンボスって、劇場番長というか、絶対ハズさないから、お二人が出てくると、演者もお客さんも安心する存在になってますけど。
藤田 実はそこが本質なんですよね。M-1も、そういう芸人になるために試されていたというか。「劇場を支える芸人、漫才師」っていうのが本来のことだったんですよね。で、その前にM-1っていう目標ができて、そこに力入れちゃったんで。
――M-1後は、もともとの在り方に戻る、という感じだったんですね。
藤田 そうです。ようやく「これなんだな」っていうのに戻りましたね。
大村 そうですね。僕もM-1後は、ちょっと燃え尽き症候群になったんですけど。そもそも、M-1のためにやってたわけじゃないしなあっていうことで、ツアーをまたやろうってことになって。でも「なんのためにやるんだよ? もうM-1ないじゃん」という自問自答もあって、でも「いやいや、それはお客さんを笑わせるためだろう」って。そんなリハビリを藤田はしてたんですよ。「本来の漫才ってM-1じゃないぜ」「もうM-1はないんだし」ってとこで。で、ようやく「これが本来の漫才だな」ってわかってきたから、今があるって感じですよね。
――そのギアが入ったきっかけって、何かあったんでしょうか?
藤田 徐々にじゃないですかね。ツアーやって、毎年お客様がついてきてくれてる状態って、当たり前のことではないじゃないですか。そういうのもわかってきたんでしょうね。これはすごいことだよなって。
――競輪でのラインの話じゃないですけど、漫才コンビもある意味ラインというか。
大村 そうですね、運命共同体ですもんね。コロナの時期もコンビ単位ではアクリル板なしですもん。当たり前にそういう扱いされてる時点で、「俺がなったら、こいつもなるし、こいつがなったら俺もなるんだな」って改めて思いました。