マレーシアで生まれ裕福で恵まれた幼少期、学生時代にはラジオDJも始めてレギュラー番組を持つなど、好きなことを仕事にして順風満帆な人生を歩んでいた有村崑。そんな有村に“俺のクランチ=土壇場”をテーマに取材すると「土壇場と言っても、本当あのスキャンダルしか思い浮かばないんですよね……」と苦笑する。

土壇場というのとは無縁の人生のように思えた有村だったが、身から出た錆…初めて体験した人生の土壇場。彼はどのように、そこから立ち上がったのだろうか。

▲俺のクランチ 第21回-有村昆-

どん底の自分を助けてくれた人たち

映画には人生を教えてもらった語る有村だけに、このときこそ映画に救われたのではないだろうか。そう考えて「自粛中に映画は見ましたか?」と問いかけると、うつむいて首を振った。

「映画、見れないですよ。とてもそんな精神状態じゃないし、見る気も起きなかった。映画に救われたとか、いい話にできなくてすみません。でも、僕は確かに映画が好きだし、映画を愛しているけど、反面、芸能界に入ってからの映画は全て仕事に紐づいているんですよね。映画の仕事があるから映画を見るんです。そんな日常から、一切の仕事がなくなってしまった。プライベートもほぼ仕事に捧げていた。全部、僕が招いたことですけどね」

既婚者が緊急事態宣言下にホテルで密会していたことは許されることではない。そして、それが未遂だったとしても、確実に有村には下心があったのだ。

「もちろん、全て僕が悪いんですが、とりあえず謝れるところには謝って、起きたことは取り戻せないから、台風が来たときみたいに、ずっと家に引きこもってましたね、子どもの送り迎え以外はほぼ家にいました。貯金は減っていく、時間だけはある、もう土壇場というか、どん底ですよね」

どん底の有村を見て、友人だと思ってた人が離れていく姿も見ていそうだと感じた。

「僕も交友関係が広かったし、離れていく人もわざわざ“もう連絡取りませんね”って言わないじゃないですか。だから、気づくといなくなっていく感じですよね。でも、これは僕、わかるんです。愛妻家で子煩悩、そんなキャラの芸能人が僕みたいな状況になったら、僕も何も言わずに近くから立ち去りますよ。変に擁護して、自分のところにまで火が広がったら大変ですもん」

激励の声をかけられても「本心で言ってるか?」「また騙されるのでは?」と考えていた有村。そんな彼の気持ちを救ったのは、経験者だった。

「狩野英孝さん、宮崎謙介さん……。写真週刊誌や文春砲を受けている方々ですよね。こういう自粛経験のある方々からのLINEは本当にありがたかったです。いや、自分が悪いのに、こんな自分に声かけてくれる方は全員ありがたいんですよ。でも、言葉の重みが違うというか、僕も自然と受け入れることができた。

“こういうとき、本当に知らないうちに心がやられますから、こうしてください”とか、具体的なアドバイスを長文で送ってくださって。だって、なんの得もないじゃないですか、なのに心配してくれて、本当に助けられました。最近は、狩野さん、宮崎さん、そして原田龍二さんと僕の4人のグループLINEがあります(笑)」

▲スキャンダルを起こした4人でグループLINE作りました

仕事復帰1発目が『バイキング』で良かった

狩野英孝からは“植物を育ててください”と具体的なアドバイスがあったそう、そのほか、元カラテカの入江慎也も心配して声をかけてくれたという。

「自粛中、ずっと家にいると、本当に精神が参ってくるんです。何回も言いますが、自分が悪いんですよ。でも、あんなに陽キャの象徴みたいだった自分が、後ろ向きなことばかり考えちゃう。じゃあ仕事をしたいんですけど、仕事はない。

その頃に、入江さんから“うちのハウスクリーニング会社『ピカピカ』で働きませんか?”って声をかけてもらって。“何もしないよりは、何かしたほうがいいですよ”って。マネージャーに相談したら賛成してくれて。人生ほぼ初バイトでした」

3ヵ月、時給1200円で一日8時間のアルバイトを週5で行った。

「掃除すると無心になれるんです。だから無駄なことを考えないようになる。入江さんからは“とにかく諦めないでください”と声をかけてもらいました。やっぱり大変だし、ツラいんです。6月だったんですけど、もうそこそこ暑いし、エアコン掃除とか、風呂場の掃除とか、お金を稼ぐのに、こんだけ大変な思いをしないといけないんだって気づいたんです」

おぼっちゃまだった有村が、初めてお金を稼ぐことの大変さを知った瞬間だった。さらに、自分の価値についても改めて思い知らされた。

「自分がもらっていたギャランティーには、これまでの陽キャだけど愛妻家、変なことをしなさそうっていう安心感も乗っかった有村昆、そういうイメージも込みのギャランティーだったんだなって気づけたんです」

全て自分が悪い。だが、影も形も知らない人から、目を覆いたくなるようなコメントがネットを見ればすぐに飛び込んでくる。

「だからもう、藁をもすがる感じですよね。別に掃除をしたから禊、とかではなくて、本当に何かをしていなかったら、どうにかなってしまうから、掃除をしてました。本当に助かりました」

こうして、活動自粛が解ける。復帰一発目の仕事は『バイキング』だった。わざわざ時が経ってみんなが忘れかけているところに、こんな復帰1発目を用意しなくてもいいのに、まるで草食動物が肉食動物の檻に入っていかなくてもいいのに、と感じたのだが……。

「僕の場合、記者会見をやっていなかったので、自分の口で何があったのか、経緯を説明したいという思いがあったんです。あと、叩かれなければ出ていった意味がないと考えていました。そりゃ生放送で皆さんのコメントも容赦ないですし、みんなが忘れかけていた話を蒸し返す感じになったんですけど、最初がバイキングで気持ち的には楽になりましたね」

こうして、本格的にメディアに復帰することになったのだが、活動自粛期間中に有村の心に残った言葉はなんだったのか。

「そうですね、声をかけてくださった方は全員ありがたかったし、逆に受け止めきれない精神状態のときもあったんですけど、一番沁みたのは、宮崎謙介さんの「1日1日ごとに楽になっていきますよ」って言葉ですね。今はツラいかもしれないけど、1日経つごとにそのツラさは徐々に楽になっていくって言葉に助けられましたね」