初期3冊を出して死んでいたらどうなっていたか
樋口といえば、2016年に突如発した“作家引退宣言”が印象深い。あれはなんだったのだろう?
「いや、本当にトチ狂ってましたね。当時、僕は『太陽がいっぱい』というプロレスの小説を出したばかりでした。プロレス界には、引退しても復帰する選手が何人もいます。テリー・ファンクは『さよならシリーズ』を1年かけて行い、“膝がボロボロだから現役はできない”と言ったのに、あっさり復帰した。
他にも、大仁田厚、ダイナマイト・キッド、長州力、船木誠勝らが復帰した。だけど、やっぱり僕は非難する気になれないんです。“もう絶対に復帰しない!”と言ったくせに戻ってくるのが、ハチャメチャでおもしろい。それも込みでの、あの引退宣言でした。
あと、あのときの引退宣言は、緩慢な自殺でもあったんでしょうね。本を書いても“なんだ、全然売れないじゃん”と、諦めに近い感情があって。“つまんないなぁ、や~めた!”と1回やめてしまった。いや、本当に不徳の致すところです。
だけど、世間から見た僕の存在意義って、初期3冊の『さらば雑司ヶ谷』『日本のセックス』『民宿雪国』までだろうなと思うところはあります。“この3冊を出したあとに死んでいたら、評価は全然マシだっただろうな”と。『タモリ論』はベストセラーになったけど……。あれで妻と知り合った(苦笑)」
今の自分には目標という目標がない
8月31日、樋口は新作小説『無法の世界 Dear Mom, Fuck You』をKADOKAWAから発売した。樋口の新作小説の完成は、かなり前から知っていた。昨年の時点で、新作に関する告知がTwitterで展開されていたからだ。しかし、装画を担当する江口寿史のイラストが出来上がってこなかったようだ。
「いや~、あのおっさんには参りましたよ。僕は一昨年に小説を書き上げているんです。なのに、あの人が描かねえ、描かねえ(笑)。発売延期すること三度です。本当だったら去年の7月に出てたし、それが延びて今年の1月に出るはずだったし、それも遅れて今年4月に出るはずだったのに……みたいな感じ(苦笑)。
で、そのあいだに資源が高騰して、紙の値段が上がってしまった。ある日、担当者から電話がかかってきて、“今、部決(発行する部数を決定する会議)をやってるんだけど、樋口さん、さんざん江口さんに泣かされてきたけど、最後にもう一度泣いてくれませんか?”って。初版の印税を下げられたんですよ。お前は泣かないのか!? お前も給料を半分にしろ!!ってね」
一時は引退宣言も発した樋口だが、今は元気いっぱいのようだ。そんな彼に、現在の目標を聞いてみた。
「目標、特にないんですよね。というのも、デビュー作で帯の推薦人に、みうらじゅんさんと白石一文さん。『日本のセックス』ではGREAT3の片寄明人さん。『民宿雪国』は梁石日(ヤン・ソギル)さん。古谷実さんには『甘い復讐』のカバーを描いていただきました。他にもテレビ番組だったりネットの企画で、もう10年以上も前に会いたい人みんなに会えちゃったんです。ビートたけしさんともお話しできたし。夢はみんな叶ってしまった。
高田延彦は“自分の生涯唯一の夢は、新日本プロレスでデビューすることだった”と言っています。17歳で高田延彦は夢が叶っちゃった。あとはもう、ずーっとその続き。僕も高田延彦と一緒で、それ以上に望むものはないんです」
いや。樋口が例に出した高田延彦の発言には、続きがある。長くなるが引用したい。
「新日本プロレスに入門する”ということが、俺の唯一の夢だった。それを叶えることができた。でも、そこで満足をしていたら、もう終わっていたわけです」(東邦出版『KAMINOGE』VOL.10)
それからの高田は、目の前にある現実を一つ一つクリアしていった。体が細かった入門当時の高田は、毎月2キロ体重を増やさなければクビになる可能性があったそうだ。だからこそ「体重を増やしたい」「ベンチプレスをこれだけ上げたい」「スパーリングで負けたくない」など、手を伸ばせば掴めるような距離のことだけを追いかけていった。
「一生懸命やってたことが結局、日々の積み重ねじゃない? なんでも同じで、地道に積み重ね続けることが」(東邦出版『KAMINOGE』VOL.10)
樋口も同じはずだ。今、彼に目標はないかもしれない。しかし、目の前にある現実と対峙し、フルパワーで向かっていく。それが、希望も絶望も飲み込んで辿り着いた作家・樋口毅宏の現在地だ。
(取材=寺西ジャジューカ)