親もプロの他人に介護してもらいたいはず
この問題は「自分だったら」と考えれば、わりと簡単に答えが出るはずです。「高齢になって体が不自由になったら、子どもに介護してもらいたいか」。そう問いかければ、「いや、動けるうちは頑張って動き続けよう。どうしようもなくなったら施設を利用するのがいちばん気が楽だ」。そう答えが出るはずです。
なんのためにずっと介護保険料を払い続けてきたのか、制度を利用するのは当然の権利です。まだ現役世代の子どもたちだって自分の人生を楽しむ権利があります。親も元気なうちは残された人生を楽しむ権利があります。
できるだけ長く元気でいるためには、動けるうちはとにかく動き続けることです。残っている能力を使い続けることです。できなくなることが増えてきたら、その部分だけを他人に頼る、それが介護サービスです。
おそらく、70代80代あるいは90歳を超えても親のほとんどはそう割り切っています。それどころか、「子どもの世話にだけはなりたくない」と考える親が大部分だと思ってください。
なぜ子どもの世話にはなりたくないのか? これには意外と言えば意外、当然といえば当然の理由が隠されています。子どもが介護すればどうしても、親を安全な場所や目の届く場所に置こうとするからです。「外をフラフラ歩かないで」とか「部屋でじっとしていて」と言って外出を制限したり、散歩でも必ず付き添うようになります。
これでは監視されているみたいです。食事も「塩分はダメ」「脂っこいものはダメ」「お酒はもうおしまい」と制限されます。行動も食べ物も自由を制限されますから、不満が溜まってきます。それでも、自分のために子どもに負担をかけていると思えば文句も言えません。
その点で、他人に介護してもらうのは気が楽です。自分がしてほしいことや、してほしくないことをはっきり口にできます。公的サービスの介護でしたら、相手はプロですから割り切って要求できるのです。介護を受ける側からすれば、こちらのほうが気が楽です。
ちなみに、私がしばしば挙げるデータですが、家族と暮らす老人と独居老人、自殺率が少ないのは独居老人のほうです。
さらに挙げれば、施設での入所者への虐待がしばしばニュースになりますが、全国に広がる膨大な数の介護施設を考えれば、ほんのわずかな比率でしかありません。それよりむしろ、在宅介護が引き起こす虐待や、介護者のうつ病や自殺のほうが多いのです。
つまり、高齢になった親とのつき合い方は、縁が切れない範囲で続いていけばいいのだと私は思います。お互いに犠牲にならず頼りにもしないという、ごくあっさりした関係が親子にもあっていいのではと思うからです。