TBS系ドラマの日曜劇場『VIVANT』で注目を集めた「別班」。だが、そんな秘密部隊は自衛隊はもちろん、日本政府にも存在していない。ただ、別班と通称された非公然部隊は、冷戦時代の陸上自衛隊に実在していた。自衛隊の情報部門について取材を続けてきた軍事ジャーナリスト・黒井文太郎氏が、リアルな別班について語る。

※本記事は、『工作・謀略の国際政治 -世界の情報機関とインテリジェンス戦-』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。

国防に必要な情報を集める情報部隊は実在した

2023年、TBSで放送したドラマ『VIVANT』では、「国際テロ組織」と「警察」と「自衛隊秘密部隊」の三つ巴の戦いが繰り広げられた。主役の堺雅人は商社マンに擬装した自衛隊秘密部隊の隊員役で、後輩隊員役の松坂桃季とともにテロ組織メンバーを処刑するなど、自衛隊員としては型破りなハードボイルドぶりを見せていた。

この自衛隊秘密部隊はドラマ設定上、日本を国際テロから守る非公然組織で、世界中のテロリストから恐れられるだけでなく、世界中の治安・諜報機関からも一目置かれる超絶的な実力派の“謎の組織”とされている。

もちろん、ドラマだからフィクションであり、実際にはそんな秘密部隊は自衛隊にはない(自衛隊というか、そもそも日本政府にはない)。だが、ちょっと面白いのは、ドラマで重要なキーワードとされているのが、この秘密部隊の名称だ。

それが「別班」である。じつは、この別班と通称された非公然部隊は、冷戦時代の陸上自衛隊に実在したのだ。もっとも、実在したといってもドラマのような破壊工作部隊ではもちろんない。あくまで国防に必要な情報を集める情報部隊である。

ただし、別班は設立当初から、その存在は公式には秘密にされてきた。自衛隊が秘密の組織を作っていたということで、かつては国会で問題視されたこともあったのだが、秘密にされたのには理由がある。別班はそもそも在日米軍の要請により、在日米軍と合同で非公式に編成され、運用されたからだ。日本側の一存で公表することはできなかったのである。

筆者はかつて軍事専門誌で、自衛隊の情報部門の歴史について解説記事を連載したことがあり、実在の別班の元隊長・隊員らを取材したことがある。もちろん『VIVANT』に出てくる超強力破壊工作部隊「別班」とは何も関係もないが、冷戦時代に実在した別班の実像を紹介しよう。

「日米合同の非公然情報部隊」がしていたこと

実在の別班の起源は、警察予備隊時代に遡る。警察予備隊創設は1950(昭和25)年だが、日本側の情報専門家を育成するため、1952(昭和27)年より警察予備隊の中堅幕僚を在日米軍情報部隊に出向させ、情報収集・分析の研修をさせるようになった。

その後、1954(昭和29)年、日米相互防衛援助協定(MSA協定)が締結され、正式に自衛隊が発足したが、その水面下で極東米軍司令官ジョン・ハル大将が、吉田茂首相に書簡を出し、陸上自衛隊と在日米陸軍が非公式に合同で諜報活動を行う、という秘密協定が結ばれた。

その秘密協定に則り、まずは陸自側の専門家を本格的に養成すべく、前述した情報研修が大幅に拡充された。米軍側の担当は、当時のキャンプ・ドレイク(キャンプ朝霞)に置かれた米陸軍第500軍事情報旅団の「FDD」と呼ばれる分遣隊で、自衛隊側の隊員もそこに詰めた(第500軍事情報旅団本部はキャンプ座間)。

この情報研修で鍛えられた要員を集め、いよいよ日米合同の非公然情報部隊が設立されたのは1961(昭和36)年のことだ。この部隊を陸自では情報部門を統括する陸幕(陸上幕僚監部)第2部(現在の陸幕指揮通信システム・情報部)の部長直轄とし、部内では特別勤務班(特勤班)と呼んだ。

特別勤務というのは、陸幕ではなく米軍キャンプ朝霞に平服で勤務するからで、この特勤班を、時に別名「別班」と呼んだ。

この特勤班=別班は事実上、米軍のFDDに自衛隊員を協力させるスキームだった。建前上はトップに米軍FDD指揮官と陸自の別班長が同格で構成する合同司令部が設置され、その下に「工作本部」および日米おのおのの「工作支援部」が置かれた。

工作本部には3個工作班が設置され、各工作班には3~4人ずつ配置された。工作員は合計で十数人程度。その他に工作支援担当者がいて、陸自側の別班全体の陣容は約20人だった。

活動内容は、基本的にソ連や中国、北朝鮮など仮想敵国の情報収集だ。商社員や記者など海外を往来する人から話を聞いたり、そういった人に依頼して外国で情報を集めてきてもらったりした。

その内容は米軍と陸幕2部の両方に報告された。他にも、時に朝鮮総連や在日中国人実業家などの人脈に接触して情報をとるなど、公安警察や公安調査庁のような活動もしていた。

もっとも、別班の活動予算は多いときでも月額100万円程度。協力者への報償費も数千円から、多くて2万円程度だった。サラリーマンの平均月収が5~7万円の時代だから、現在の貨幣価値なら7倍以上にはなるだろうが、それでも公安警察などとは比ぶべくもない小規模なレベルである。

後に一部メディアで「多額の資金を使って活動する得体の知れない謀略機関」とのイメージで報じられたこともあるが、それはかなり誇張されたものだったと言えるだろう。

〇日曜劇場『VIVANT』30秒新予告[TBS公式 YouTuboo]