元『週刊ゴング』編集長の小佐野景浩氏が、“ミスター・プロレス”として一時代を築いた天龍源一郎さんに、『天龍革命』の真相について聞いた。

天龍革命後、初のシングルマッチが決定!

天龍革命勃発以降、ファンの最大の関心事は「鶴田と天龍の鶴龍頂上決戦はいつ実現するか?」だった。タッグマッチによる抗争で気運を十分に盛り上げてからというのが従来の全日本の戦略だが、なんと龍原砲の本格発進2シリーズ目『サマー・アクション・シリーズ2』の天王山の8月31日、日本武道館で一騎打ち実現の運びになった。これは「ファンが見たいものを出し惜しみしない!」という馬場の英断。天龍革命が長州離脱ショックを払拭したことで、馬場の意識も変わったのである。

「天龍は、ここ2〜3年で出てきた選手。13年間、トップを張ってきた俺の気持ちはわからないよ。追う人間のほうが楽とは言わないけど、こっちは常に最前線だからね。天龍に言いたいのは“インター王座に挑戦してこい!”と。UNとのダブル・タイトル戦という声もあるようだけど、UNはいらない。返上してインターを獲ったんだから。天龍は10年前の俺の道を歩いているということですよ」<鶴田>

「言われなくてもジャンボ相手にUNを懸ける気はないよ。ジャンボが返上して埋もれたUNチャンピオンをここまで持ってきた意地があるからね。13年間トップを張ってきた辛さ? 敢えて言わせてもらえば、長州がいた2年間と、俺と阿修羅がやった1シリーズと何試合かでその13年間が潰されたのが悔しくないの? 全日本の何割かをジャンボが背負っていた部分はたしかにあるけど、あいつには自覚がないんだよ。今のジャンボには魅力がないから、8月31日に火をつけてやるよ」<天龍>

こんな舌戦が繰り広げられたが、馬場が出した結論はノンタイトルマッチの60分1本勝負。これは「ベルトを意識して不透明な決着にならないように」という意味であった。

天龍革命勃発以前、ふたりは2回対決している。初激突は82年4月16日、福岡国際センターにおける『第10回チャンピオン・カーニバル』公式戦で結果は30分時間切れ引き分け。

「今でも憶えているのは“ジャンボだけには負けたくない!”っていう意識で戦ったことだね。自分の評価を自分で確かめたいって感じで、イケイケだった当時のジャンボに真っ向からぶつかっていったんだよ。それまではプロレスが巧い、俺より先に入ってソツなくこなしている人っていう感じだったけど、あの試合でジャンボを身近に感じることができたんじゃないかな。30分いっぱいやって引き分けて……。“もしかしたら俺もプロレスで飯食っていけるかな”って漠然と思った気がする。あの福岡の試合は、のちにレボリューションでジャンボにぶつかっていく原点だったかもしれないね」と、天龍は振り返る。