鑑別所に入っていたワルを救った「母のエビフライ」

先輩のせいで積み重なったマイナス点
翌日。6時に起床。布団を畳んで、横1列に正座をして先生を待つ。今度は朝の挨拶だ。一丸となった「おはようございます」が言えるまで、無限ループを繰り返して、自由時間が与えられる。この日はテレビを見た。お笑い芸人がヒッチハイクをして、苦労する企画をやっている。ただ見るだけではない。感想文を書くのだ。
『リアクションが最高』
バラエティ好きの自分としては本音の感想だが、反省の意を込めなければならない。
『苦労している姿を見て感動した。自分も頑張っていきたい』
全く思っていないことを、無理やり書いて提出。その紙を先生が回収しに来る。回収と同時に、別の紙を手渡された。そこにはコアラのマーチと、海老ピーとイカピーの3種類の品目が記載されていた。横にチェック欄があって、好きな物を1つだけ選ぶ。心身共に疲弊している状態で、大抵の者は甘い物を選んだ。僕もそう。コアラのマーチと書いてある横のチェック欄に記しをつけた。約2週間ぶりに食べるチョコレートの味は格別だった。
3日目。この日は同居人が増えることになった。入ってきたのを見て驚いたのは、知り合いの先輩だったからだ。身長約185センチ、体重約90キロの小宮さん。この日から、6畳の部屋に布団を5枚並べることになった。縦と横に交互に置くと、両端の布団が壁に折り曲がるくらい狭い場所だ。
小宮さんは、何度か鑑別所に入ったことがあって、立ち振る舞いや身のこなしは慣れたものだった。よって、僕は小宮さんに翻弄されることになる。いつものように「おやすみなさい」を言う直前になると、小宮さんはコッチをチラッと見てオナラをした。そのタイミングで先生が来て、笑っていた僕は減点をされてしまった。
「ちょっと勘弁してくださいよ」
先生がいなくなったあとで小宮さんは笑い始めた。鑑別所に入って4日が経ったが、すでに3ポイントもマイナスになっていた。初日に注意を受けて1回目。座りながら手をついているのを見られて2回目。小宮さんのオナラの罠にかかって3回目。今後は襟を正して生活をしなければならない。
この決意も虚しく、4回目の減点を受けてしまった。
小宮さんが、先生がいないのを見計らってエルビンと話し始めた。エルビンは小宮さん以外の3人と喋るときはペラペラの日本語を話す。小宮さんと喋るときは日本語が下手なフリをする。おそらく強面(こわもて)な先輩だからという理由で、言葉遣いを間違えないようにしているのだ。「はい」もしくは「そうっすね〜」しか言わない。
「なぁ。お前、ここから出たいか?」
「はい」
「じゃあ脱獄するか?」
「そうっすね〜」
「お母さん好きか?」
「はい」
「お母さんの名前は?」
「そうっすね〜」
このやりとりを見て笑っているところに、先生が通りがかった。小宮さんを見ると、すでに佇まいを直している。4度目の減点。少年院行きがリアルなものとなってきた。
このあとは減点をされることはなかったが、1度だけ悪事を働いてしまったことがある。
ばあちゃんの祈りが届いてまさかのフィナーレへ!
自分以外のメンバーは、2日目に支給された菓子を、6日目まで食べ切らずに残していた。それは菓子の支給が、4日に1度しかないことを知っていたからだ。毎日1個ずつ支給されると思っていた僕は、もらった直後に全て食べ切ってしまった。
3日目も4日目も、美味しそうに残りの菓子を食べている仲間たち。5日目の夜、ついに我慢の限界がきた。部屋には収納ケースがある。その中には各自の持ち物が入っている。コアラのマーチも例外ではない。トイレに行ったあとで、物音を立てないように引き出しを開けて、誰かのコアラのマーチを1つ食べた。たった1つだ。闇に乗じた犯行で、誰のコアラのマーチかはわからなかったが、翌朝。
「あれ? 俺のコアラのマーチが1つない」
エルビンが、コアラのマーチがなくなったと騒ぎになっている。ごめん、エルビン――心の中で謝罪をしたものの、口には出さなかった。それよりも、小さなコアラのマーチの数を数えていたことに驚きを隠せなかった。
「気のせいじゃない?」
他のメンバーがそう言うのに合わせて、相槌を打った。鑑別所に入って1週間が経過。この頃にはもう、読書が日課になっていた。
『母はいつも僕を厳しく育てた。ずっと反発してきた。だが母を亡くした今は思う。ごめん。お母ちゃん。ありがとう。お母ちゃん』
芸能人のエッセイを読んで、自分の母のことを思い出した。
『自分もたくさんの過ちを犯した。でも今は人のために何かをしたいと思う。人間は変わることができる』
これは元暴力団の組員が、牧師になって書いた本の一節だ。以前は読書が嫌いだったが、気づけば虜になっていた。8日目。保護観察官との面会の時間。特に何かをするわけではなく世間話をした。
「今どんな物が食べたい?」
考える間もなく、即座に頭に浮かんだ物を答えた。
「母が作ったエビフライです」
9日目。ばあちゃんからの手紙を受け取った。
『お久しぶりです。あなたがいなくなって3週間が経ちます。いつも顔を合わせていたあなたがいなくなって寂しいです。今日はお彼岸なので、皆で墓参りに行ってきました。あなたの今いる場所からは、東南の方角に墓があります。そちらに手を合わせて、反省の気持ちを念じてください』
手紙の返事を書いたあとで、言われた通り東南に向かって手を合わせた。
『すみません。もう2度と悪いことをしません。絶対にしません。お願いですから、早くここから出してください』
心の底からの祈りだった。10日目。エルビンに連絡先の交換を持ちかけられた。紙とペンはなかったため、頭で記憶するしかなかった。11日目。1人部屋に移された。横になったら、一切スペースがなくなるくらい狭い。多人数でいたときの息苦しさからの解放と、1人きりになった孤独をいっぺんに感じた瞬間だった。3日後。ここに来て、2週間の時が経つ。
「今から出るから準備をしなさい」
突然の通告に、戸惑いを隠せなかった。最初に4週間の拘留と聞かされていたが、2週間も早く出ることが決まった。急いで準備をして、先生に案内されるがままについていくと、入口には母親がいた。
「まだ2週間残ってたよね?」
「裁判所の人からはこう言われたよ。異例のことだって」
祈りが届いたとうれしくなった。よくよく聞くと保護観察官に「食べたい物は何?」と聞かれて「母の作ったエビフライ」と答えたのが決め手になったようだ。保護観察官は、それを聞いて「この子はもう悪いことをしない」と思ったそうだ。母に連れられて、鑑別所をあとにした。短いようで長い4週間だった。たった4週間だったが、外に出てからの人生を変えるには、充分すぎる4週間だった。







