『北区赤羽』でブレイク。「編集者を見返したい」反骨心が清野とおるを支えた
俺のクランチ 第1回 -清野とおる-
起業家、作家、アスリート、アイドル……各界の第一線で活躍するあの人の「土壇場」はいつだったのか。「俺のクランチ」記念すべき第1回は漫画家・清野とおるさん。

仕事がない…ブログを立ち上げることを思いつく
『ハラハラドキドキ』の連載が打ち切られて、仕事がなくなったが集英社と独占契約を結んでいたため、他誌で描くことができない。結局「1円にもならない新作ネームを日がな1日描いていた」という。
時間と描きたいものはある。しかし紙の媒体は縛りがキツい。そんな状況で2007年に個人ブログを立ち上げた。今でもその一部は閲覧可能だ。
清野のブログ
ブログ以上でもブログ以下でもない、もはや「ブログ」としか表現しようのないブログ極まりなきブログ。 要はブログです。
「デビューした90年代はまだネットはないに等しい状況でした。世に自分の面白いと思うものを出そうと思ったら、出版社を通して、そのために編集さんを攻略するしかなかった。でもその当時ブログなら簡単に立ち上げられて、発信できると気づきました。そこにストックしてあるネタを排出しようと思ったんです。出さないと狂うくらい創作意欲がくすぶっていましたからね」
開設当初のコンテンツは主に2本立てで、1つが暗黒の幼少~学生時代の珍奇な思い出を漫画と文章でつづったもの。もう1つは赤羽で出会ったキャラの濃い人物や、目をうたがうような光景を写真と文章でレポートするもの。これが『北区赤羽』の原型となった。
赤羽には連載終了した後に、実家から移り住んでいた。清野さんいわく、赤羽という街に住む“ダメな人”の存在には救われたという。
「赤羽は四六時中酔っぱらってる“ダメな人”が、そこかしこにいた。でも、それでダメな自分も許容してもらえたように思えた。多分あの状態で中目黒とか広尾とか田園調布とかに住んでいたら『みんなちゃんとしているのに、俺は何をやっているんだ』と罪悪感と自己嫌悪に押しつぶされていたでしょう。まあ家賃的にも住めるわけなかったですけど(笑)」
そんな赤羽での日々を記したものは、「身辺雑記」と片付けるにはあまりに魅力的なコンテンツだった。ブログはすぐ編集者の目にとまり、2008年から『東京都北区赤羽』は『ケータイまんが王国』で連載となった。
- 文 :
- 竹林 徹 (NewsCrunch編集部)









