信長の成り上がり伝説はウソ!? 朝倉よりも名門だった織田家

信長に仕えるためにチャンスを待つ秀吉
そして、今川家の当主である義元さまが9歳も年下だったことにつけ込んで、三河にも進出して、安祥城を占領し、德川家康さまの伯父にあたる刈谷の水野信元さまも味方に引き込まれました。つまり実質的に、東海一の弓取り(弓矢で戦うものから「武士」、転じて「国持大名」を指します)というべき立場になられたのでございます。
なにしろ、美濃の新しい支配者である斎藤道三の娘、帰蝶さまと信長さまが結婚されたくらいでございますから、実質的には尾張の支配者とみられていたわけです。
しかし、義元さまも成長して今川も息を吹き返し、いったんは信秀さまが人質に取った松平竹千代(家康)さまも人質交換で今川に奪われました。信秀さまが亡くなられたときは、義元さまは33歳の働き盛りで、信長さまは18歳でしかありませんでした。しかも、信長さまは“うつけ者”などと噂されておりました。

しかし、信長さまは天才的な政治家でございました。信長さまが、守護である斯波義統(しば よしむね)さまと結ぶ構えを見せたところ、守護代の織田大和守信友さまは、義統を殺してしまいました。そこで、信長さまは義統さまの子の義銀さまのためということで、信友さまに弔い合戦を仕掛けて滅ぼし、清洲城を手に入れられたのでございます(天文24年・1555年)。
強引なやり方を心配した柴田勝家さまや林秀貞さまらの重臣たちが、弟の信行(信勝)さまを擁立しようとされましたが、すぐに鎮圧されました(天文24年・1555年)。そののち、信行さまは美濃の斎藤義龍さまと結んで、もういちど叛(そむ)こうとされましたが、信長さまが仮病で伏して、あとを託すために来るように信行さまをおびき出し、謀殺されました(永禄元年・1558年)。実弟を殺されたということです。
さらに、岩倉城にあった伊勢守家の尾張北部守護代である織田信安さまも追放して、あっさり、尾張全土を掌握されたのでございます(永禄2年・1559年)。
それで話は戻りますが、藤吉郎が、信長さまにお仕えすることになったのは、この頃でございます。松下家を辞して尾張中村に戻ってきた藤吉郎は、どうやって信長さまの家来になるか算段を始めました。ちょうど中村出身の一若というものが信長さまの側にいると聞き、相談もいたしました。
もし、雑用をするとか、雑兵としてなら、それほど難しいことではなかったことでございましょう。しかし、藤吉郎は松下家にいるうちに、仕官するなら殿様自身のお声掛かりで始めないと、良い仕事は回ってこないことを見てまいりました。
といっても、待ち伏せして、道端にひれ伏して「お仕えしとうございます」といっても、うまくいくことは希でございます。それどころか、虫の居所が悪いと成敗でございます。やはり、近習〔きんじゅう:主君の近くにいて奉仕する役〕に話が通じていて取りなしてもらいたいところです。
たとえば、彦根藩祖である井伊直政が、家康さまにお仕えしたときの様子について、新井白石という方によると「徳川殿が鷹狩りに城を出たとき、道のほとりに面魂〔つらだましい:強い精神・気迫の現れている顔つき〕が尋常でないものがいた。いかなるものの子かと尋ねると、井伊氏の孤児であるというので、それなら私に仕えよといった」と書かれておられます。
しかし実際には、家康さまの信頼が厚かった松下一族の山伏・常慶が、段取りを整えていたのでございます。常慶は、直政に家康さまが鷹狩りに出かける場所で待つように指示し「今川氏に滅ぼされた井伊家の残党で、松下家の養子になっている少年がお目通りを願っているので叶えてやって欲しい」と家康さまに頼み、対面したわけです。

つまり藤吉郎も、すでに世知は十分に備えておりましたから、まず、信長さまによしなに取りなしてくれる人物を見つけ、チャンスをつくろう考えたのでございます。
ですから、一若の紹介で織田家に小者として仕えて、仕事を通じて頭角を表したわけでも、道ばたで信長と偶然に出会い、猿に似た面白い奴だと拾われたわけでもないのです。
それでは本日はこのあたりで、ごめんくださいませ。
※ 甲斐氏は藤原秀郷の流れで下野国の佐野氏の一族。応仁の乱のときに山名氏の西軍についたが、途中から細川氏の東軍に寝返った朝倉孝景に越前守護職を奪われた。
※ 井伊直政が家康に仕官したのは、徳川家が遠江を支配下に置いてから10年以上も経ってからのことである。なぜもっと早くお目通りしなかったかといえば、子どもを連れて行ってもお役目に就けるはずがないので、武士らしい振る舞いができるようになってから売り込んだ。また、邪険に扱われる危険性をできるだけ低くするために、すでに徳川家中でそれなりの扱いを受けている松下家の子どもという立場で会った。そして、家康はこの美少年をすっかり気に入ったので、トントン拍子の出世を果たしていく。そのあたりの事情は、私たち二人が書いた『井伊直虎と謎の超名門「井伊家」』(講談社+α文庫) に詳しい。
- 写真 :
- PIXTA
- 自由入力 :
- イラスト:ウッケツハルコ







