実録・血で血を洗う斎藤家の仁義なき跡目争い!

勢力を伸ばす信長のもとで地位を確立する秀吉
弘治2年(1556年)に道三さまが亡くなってから、永禄10年(1567年)に最終的に稲葉山城を落として斎藤義興さまを伊勢に追うまで、11年間もの攻防戦が繰り広げられたのでございますが、ここでは、その節目だけ紹介しておきます。
道三さまの死の4年後の永禄3年(1560年)に、桶狭間の戦いがございましたが、それまでは実弟の信勝さまや庶兄の信広さまの謀反を義龍さまが仕掛けられるほうでした。しかし信長さまは、今川義元さまを討ち、三河の松平元康(家康)さまとの同盟を徐々に築き、美濃攻略の準備を進められます。
しかも永禄4年(1561年)には義龍さまが急死したので、信長さまは西美濃の森部(安八郡安八町森部薬師堂の長良川畔)などで戦い、岐阜城下に放火したり、墨俣城を一時ですが占領されました。私が藤吉郎と祝言を上げさせていただいた年でございます。

永禄6年(1563年)になると、犬山城にあって信長さまに反抗されていた、従兄弟の信清さまを抑え込むためもあって、信長さまは清洲の北の小牧山に本拠を移されます。信清さまは、もともとは信長さまに従い、一緒に協力して岩倉城の守護代織田伊勢守家を滅ぼしたのですが、そのときの分け前をめぐって対立する関係になっていたのでございます。
永禄7年(1564年)になると、美濃では西美濃衆の竹中半兵衛さまが少人数で稲葉山城を乗っ取り占領する事件がございました。信長さまは、半兵衛さまに美濃の半分をあげるので手を結ぼうと持ちかけられましたが、半兵衛さまは義興さまを諫めたいだけで城を占拠したのだと断られました。
しかし、このお陰で義興さまの力は衰えましたので、信長さまは東美濃への攻勢をかけられました。とくに犬山城を孤立させるために、丹羽長秀さまを中心に木曽川対岸の土豪たちを味方につける工作を実行させたのでございます。

永禄8年(1565年)には、京で将軍・足利義輝さまが三好一党に殺されるという事件がございますが、東美濃では加治田城の佐藤忠能さまなどを寝返らさせました。ただ、この寝返りのときに忠能さまは、それに先だって齋藤方を油断させるために娘を人質に出したのですが、お気の毒にも寝返りが露見すると娘さんは哀れにも磔にされたそうでございます。
この年に藤吉郎が、松倉城主・坪内利定さまに出した領地安堵の書状が現在も残っているそうでございます。松倉城は、現在は岐阜県の各務原市になっておりますが、当時は尾張国羽栗郡でございました。墨俣ではありませんが、このあたりの砦を本拠にして、藤吉郎が信長さまの名代として文書を出せる立場に出世していたというわけでございます。
この頃、藤吉郎が東美濃の鵜沼城主の大沢次郎左衛門を寝返らせるのに功績があったと聞いておりますが、詳しいことははっきりと憶えておりません。
永禄9年(1566年)には、近江矢島におられた将軍・義輝さまの弟である義昭さまを奉じて、信長さまが上洛されるという噂が京でも出ておりました。
義昭さまは、奈良興福寺の一乗院門跡(もんぜき)となって覚慶と名乗られておられました。母上が近衛家出身であることから、藤原家の氏寺である興福寺に入っておられたのでございます。義輝さまが前年の5月に暗殺されたのち幽閉されておられましたが、7月に細川藤孝さまらの手引きで脱出され、近江国甲賀郡油日(現甲賀市)にある和田惟政の領地で保護され、11月には六角承禎(義賢)さまの斡旋で、かつて一休禅師がおられたこともある、野洲郡矢島(現守山市)に移られていました。
義昭さまの斡旋で織田軍を美濃領内を通過させるといった話もありましたが、信長さまは慎重でございました。
さらに、現在の各務原市の辺りで行われたとみられる河野島での戦いでは、織田軍は増水中の中州に取り残され、水が引いたところで渡河して尾張側に戻ろうとしたものの、多くの兵が溺死するといったこともございました。
そんなわけで早期の上洛は断念ということになり、また、六角氏が京を支配する三好三人衆と和解したりしたので、義昭さまは8月に若狭の武田義統さまのもとに、ついで9月には越前の朝倉義景さまのもとに移られました。NHK大河ドラマ『麒麟がくる』で描かれていたように、明智光秀さまがお側に仕えていたのはこの頃でございます。
そろそろこれで失礼いたします。ごめんくだいさませ。
※ 大名の出身地については、拙著『戦国大名 県別国盗り物語』(PHP新書/2006年。文庫化もされている)が初出。
※ 織田信清の父である信康は、信長の父である信秀の弟。信長の姉である犬山殿を妻とした。子の津田信益は越前藩士となり、子孫は尾張藩や明石藩に仕え、娘の貞正院は尾張藩祖徳川義直の継室(後妻)となった。
※ 矢島は守山市の琵琶湖に近いところに所在し、臨済宗少林寺には一休さんがいたことがあり、同時期には隣の荒見にある聞光寺には蓮如さんがいた。義昭が寓居した矢島御所は少林寺に隣接していた。
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- イラスト:ウッケツハルコ







