お笑い芸人になりたかった。東日本大震災を目の当たりにした抑えきれない想い

福田健悟の人生も大きく変えることになる3.11
こう考えるようになってから、人のために何かをしたい、という気持ちが強くなった。そのためには外に出る必要がある。人のために何かをしようにも、家の中にいては他人と接する機会がない。そう思ってバイトを始めることにした。この決断をするのと同時に、保護観察官との定期的な面会も終わった。
バイト先には本屋を選んだ。不思議な気分だ。少し前まで、ギャングイーグルのリーダーをしていた自分が、本屋で働いている。今までは、気に入らないことがあるとすぐに辞めて、次のバイトを探していた。朝早く起きたり、接客で嫌なことを言われるのが憂鬱だった。人のために何かをする余裕はなく、バイトを続けることが目標になっていた。
ここで働いていた堂島さんという先輩は、僕が入った時点で5年目になる。彼は僕の教育係だった。会話を重ねるうちに意気投合して、互いに好きな本を勧め合う仲になった。彼に紹介をしてもらった本に出会えたことは、今後の人生を大きく変えるキッカケになる。その本には、こう書いてあった。
『本当に世界を変えたければ、皆で力を合わせることだ』
本の後ろには、皆で力を合わせるために作られた、「ワンネスチーム」というグループのホームページが記載されていた。各地で活動をしているらしく、地区ごとに代表者の名前が書かれている。そこをクリックしたら連絡先が表示された。社会に貢献をしたいと思っていた自分には、最適のチームだった。
迷うことなく代表者に連絡をした。このチームのメンバーは、それぞれボランティア活動や慈善活動をしている。今までの人生では、出会ったことのないタイプの人たちばかりで、彼等から話を聞くのは刺戟的だった。
そんなある日。バイトが休みで、何気なくテレビをつけてみたら、信じがたい映像が映し出された。2011年3月11日。東日本大震災。なんだこれは? 映画か? そうではないことは、すぐにわかる。どのチャンネルを見ても、同じ映像が流れている。
一夜明けてバイト先に行ったら、皆が昨日の映像を見て、感じた衝撃を口にしていた。とんでもない状況だ。今の自分に何かできることはないだろうか。何かをしないといけない。わかってはいても、何をすればいいかがわからない。
結局、このまま何もできずに半年の時が流れた。そんなある日、ワンネスチームで出会った水谷さんという女性から電話がかかってきた。
「東北にボランティア行かない?」
彼女は、震災があった1ヶ月後に現地に行っている。現地にいる知り合いが言っていたらしい。何も持って来なくていい、と。ありとあらゆる物が届いて、逆に持て余してしまっている状態なのだという。それもあって水谷さんは、地元の人たちから1人あたり3000円の義援金と手紙を預かって、仮設住宅の人々に配って歩いた。
1回目の義援金は113人から集まった。だが現地に行ってみると、仮設住宅は350棟あった。これでは残りの237人に対して不平等だということで、2回目の出発を決断したそうだ。断わる理由は1つもない。バイト先に休みをもらって、水谷さんに同行することを伝えた。
震災があって1ヶ月で、113人から義援金を集めた水谷さんは、周りから言われていた。
「最初は皆が協力してくれたかもしれないけど、次は前回の倍以上の人の協力が必要なんでしょ? 1年くらい先になるんじゃない?」
悪気があって言ったわけではないと思う。むしろ普通に考えたら、至極当然の考えだ。この考えを、水谷さんは打ち破る。4ヶ月で237人分の義援金を集めることに成功したのだ。1人で100人分の力を貸してくれた人までいた。
そして僕たちは、皆からの思いと義援金を手に、東北へ向かった。
車を走らせること約10時間。自分を含めた6人は現地に降り立った。そこに広がっていたのは凄まじい光景だった。水谷さん以外の5人は初めて目にする現実。この現実から目をそらすことなく、全てを胸に焼き付けた。忘れてはいけない。助け合うことが大切なのは、大きな災害が起こった時だけではない。
このあと、仮設住宅を1軒1軒ノックして回って、皆から受け取った義援金と手紙を渡した。







