佐々田と前川、どちらが自分に近いのか?

――沢村さんがご自身を重ねているキャラクターは佐々田かな? と思ったんですが合っていますか。

沢村:たぶん、この物語の誰と近いかと言われたら前川さんが一番近いんですよ。 佐々田みたいな子はクラスにいるけど、「もっとはっきり言えばいいのに」みたいな距離感で見てたタイプです。学生時代の私は、きっと前川さんのような言動をとっていたはずです。

ただ、トランスとしての自分の根底には、佐々田のような部分もあるなって。佐々田って、 ふわふわして当たり障りなくやるということを最大の防御としてる人じゃないですか。(私自身が)過去に全力で黒ずくめの服装をしていたんですけど、自分を守るという行動原理は一緒です。だから、そういう意味では、佐々田でもあり、前川さんでもありだとは思います。

――表現の方法が違うだけ、と。

沢村:そうそう。いま話してて思い出したんですけど、 小1ぐらいの頃の私は、ほぼ佐々田みたいな感じだっただろうと思います。死ぬほど無口で、本当に喋らなくて。親とかに学校のこと聞かれても「忘れた」って。全部覚えてるんですけど、言いたくないから、ちょっとめんどくさいと思っていて。でも、ちょっとした事件があって、自己防衛的にめちゃくちゃお喋りになったんですよ。

――嘘がバレたときみたいな感じですか?

沢村:そうです。そこから前川さんモードに入っただけで。もともとは佐々田のほうが近かったのかもしれないと思いました。

――タイトルの『佐々田は友達』に込められた意味についても教えてください。

沢村:タイトルは「佐々田は友達なんだよ」っていう読者に向けたメッセージです。何か月も決まらなかったんですけど、読者さんによっては全く理解できない瞬間とかがあるかもしれないと思って。それで、タイトルをちらっと見たら、『佐々田は友達』なんだなって。

――物語の終わりはすでに決められているんですか?

沢村:ラストシーンと物語の山は、だいたい決まってます。でも、そこに行く道筋は全く未定です。キャラが勝手に動いて、喋り出すこともあるかもしれないので。最初に思っていたのと全然違うことになることがほとんどですね。

――なるほど。ちなみに、第1巻での“予想外”なシーンはありますか?

沢村:佐々田のカミングアウトは予想外でした。 自分で自分のことを認める、そういったことをあまりにもしたがらないから、 3巻ぐらいかかると思ってました。たとえ自分に対してカミングアウトするにしても、です。そう思っていたら、意外と1巻の最後でしたので意外と早かったですね。

――沢村さんの創作におけるマイルールが気になります。

沢村:私が子どもの頃に読んだら救われる本を描く、ということですかね。たぶん、そこの根っこは、エッセイでも今回の作品を書いてるときも変わらないんです。

▲創作のマイルールは「自分が子どもの頃に読んだら救われる本を描く」

いつも隣にあったのは『長くつ下のピッピ』

――先ほど、創作漫画の作法に合わせるという話もありましたが。

沢村:何かが足りなくて悩んでたときに閃いたのは「ナレーションのおじさんを入れればいいんだ」ってことですかね。イメージは、柳生ヒロシとか森本レオ。最初は、ナレーションなしで始めたんですけど、ずっとモヤモヤしてて。

子どもって、自分の人生をとてもしんどく捉えてるじゃないですか。子どもの視点より、大人のおじさんに子どもを見守らせる視点を入れることで、おそらく 読んでる側も見守られるような気持ちになるはずだと思って。「そこか!」みたいな。

――そのヒントは何から?

沢村:子どもの頃は『長くつ下のピッピ』とか、童話がとにかく好きだったんです。「童話やりたい!」で始まった創作なので、児童文学にするために欲しかったのが、ナレーションだったんです。子どもに語りかける存在が欲しかったんでしょうね。

私は友達には恵まれたけど、教科書に自分のような存在は出てこなかった。バラエティ番組もめっちゃ好きだったけど、しんどかった。広告を見れば「整形しよう」「英会話できるようになろう」みたいな雑音ばかりで、そこから取り残されるなみたいな風潮もあるし。漫画もそうだと思います。大好きな作品は多いのに、しんどいんです。

――進んでいく感覚が、ということですか……?

沢村:そうです。一番好きな漫画を挙げるとしたら『HUNTER×HUNTER』なんですけど、例えば、常に最悪の事態を想定して行動しろ、というかっこいいセリフが出てくるんですが、子どもなので鵜呑みにしちゃったりして。でも、常に最悪を想定して行動するのってしんどいんですよ(笑)。そういうときに、同時に『長くつ下のピッピ』を読んでた自分もいて。私がやりたいのはこっちだなと思いました。

――『佐々田は友達』を中高校生ぐらいの子が読んで「自分より年上の人で、自分みたいに思ってた人がいたんだ」ってことが、大きな救いになると思うんですよね。

沢村:そうだったらうれしいです。エッセイを描いていたときの感覚って、超わかってほしいって感じだったんです。でも、わかってもらうターンは終わったと思ってます。バカみたいに見えるかもしれないですけど、マイノリティな部分がありすぎても、漫画に描いたら100%わかってもらえるんじゃないかと思ってたんです。 私は自己分析も得意だし、描くのも得意だから。この表現力と分析力があれば、みんなに理解してもらえるし、私も自分のことを理解できるだろうと思ったら、全然そんなことはなかった。

――創作意欲の根底にあるモチベーションはなんでしょう?

沢村:それは年々変わっているかもしれません。一応、幼稚園ぐらいの頃から、 アニメ作りたいと思ってました。キャラクターが喋る物語を作りたいとは、ちっちゃい頃から思ってて。でも、その欲望がいつしか「働けないから」に変わったんですよ。

――と言いますと?

沢村:サラリーマンになりたかったんですよ。でも、女の人に生まれたらしいから、社会が決めてる性別の枠で、うまくすり合わせができないなと思ったんです。それって、すごく苦労しそうだなって。でも、作家とか漫画家は、絵が商品だから、そのすり合わせはスルーできるじゃないですか。それで最初は楽しく漫画を描いていたんですけど、今度は「これしかない」っていう思いに首を締められるようになっちゃって。でもエッセイを描くうちに、逆に漫画家になることで目を背けていた部分にも向き合えるようになって。

自分に向き合えたのもやっぱり漫画のおかげというか、最近なんです。ジェンダークリニックに行ったり、親にもカミングアウトして。ひとり暮らしを始めて、やっと人生を自分として生きている、そんな実感が生まれたから、やっと創作漫画に手を付けられるようになった気がします。

――今後、描いてみたいと思っている作品のイメージなどがあれば教えてください。

沢村:どんなエピソードが出てくるかは、まだわかってないんですけど、やっぱり児童文学ベースで描きたいとは思ってます。自分が子どもの頃に欲しかった作品を出していきたいです。

(取材:すなくじら)


プロフィール
 
スタニング沢村
自身の性的嗜好を赤裸々に描いたエッセイ『実録 泣くまでボコられてはじめて恋に落ちました。』(新潮社)でデビュー。ほかに『女(じぶん)の体をゆるすまで』(小学館)がある。性別欄に“どちらでもない”があると安心するトランスジェンダー(Xジェンダー、ノンバイナリー)。X(旧Twitter):@poppypesu