2009年に『さらば雑司ヶ谷』で華々しくデビューを果たした樋口毅宏。今年8月31日に新作小説『無法の世界 Dear Mom, Fuck You』(KADOKAWA)を発売した彼は、数多のサブカル系文化人による後押しを受けて世に打って出た作家だ。
エロ本やゴシップ誌の編集者として腕を磨いた、若き日の樋口毅宏。そんな彼の時間は30代後半になって動き出した。ある運命の“出会い”を迎え、人生最大の“土壇場”を乗り越え、作家への道が開けていったのだ。
そして、達観した境地へと到達した50代の樋口毅宏。「今の自分に目標はない」とまで口にした彼は、これまでにどんな道程を歩んできたのか?
僕は『ロッキング・オン』には入れなかった
樋口毅宏が書く小説を読むと、必ず最後にスペシャルサンクス……つまり、元ネタの開示が出てくるのは常。「幼少期からインドア派だった」と自認する樋口は、さまざまなメディアから栄養を吸収したが、そのなかでも強かったのは雑誌文化からの影響だ。
「僕の成分の何十パーセントかは『ロッキング・オン』と『週刊プロレス』でできています。もっと言うと、『週プロ』のターザン山本さん、『ロッキング・オン』の山崎洋一郎さんからの影響は強いです」
いつしか雑誌編集者に憧れるようになった彼は、語り部文化への憧憬を募らせていったのだ。事実、樋口は過去に「宮本武蔵より偉いのは吉川英治であり、大山倍達より偉いのは梶原一騎であり、キリストより偉いのは聖書を書いた弟子たちです」という発言を残している。
「語られる偉人もすごいけど、その人をさらにイメージアップ、実力以上にランクアップさせていった人たちがすごい。“こんな男が実在するんだぜ”という作業を人類で最初にやったキリストの弟子たちは、キリスト本人より偉大だったと思うんです。キリストが磔(はりつけ)にされたあと、“どうやってキリストを神の子にしようか”と、彼らは聖書を書いていった。そういった語り部文化への憧れは、雑誌で培われたところが大きいです。
でも、僕が『ロッキング・オン』になんか入れるわけがないんです。90年代の『ロッキング・オン』って、アルバイト1名の募集に1,700通の応募が来て、東大卒の人が一流企業の正社員の道を断って入社した、みたいな人が入るという話だった。渋谷陽一は一流大学出の人間が大好きだし、僕みたいな四流以下の大学を出たつまらない人間が入れるわけないんです」
『ニャン2倶楽部Z』が自分の文学のベース
大学卒業後、樋口が就職したのは白夜書房系列のアダルト系出版社・コアマガジンの編集部だった。
「とりあえず、出版の世界に潜り込まないといけないと思ったので。僕は生まれも育ちも池袋で、高田馬場にあるコアマガジンは近かったんですね。それに買ったことのある本もあったし。エロ本で『スーパー写真塾』という雑誌なんですけど。コアマガジンに紛れ込んでからは、ずーっとエロ本ばかり作ってました。
でも、入ってみるとコアマガジンは、異才・鬼才・天才の集まりだった。“自分はすごいんだ”という思いでコアマガジンに入ったけど、“自分は凡人なんだ”と思い知らされるまでに2日とかかりませんでした」
コアマガジンで高い鼻をへし折られた若き日の樋口。そして「常人」から「編集者」になるべく血の入れ替えも行われた。くちばしが青かった彼は、いつしか娑婆っ気をなくしていったのだ。
「軍隊と同じようなもので、あのおかしな集団にいたら、まともではいられないと思いますよ。あんな緩くて、粗雑で、わんぱくな社会人集団。現代的な視点で見たら、すべてがアウトですし」
本人が言うとおり、コアマガジン在籍時の樋口は常軌を逸していた。深夜にテンションを上げるためパンツを脱ぎ、奇声を上げてコピー機に飛び乗ったこともあるという目撃談を聞く。「“無軌道な若者”の花見を撮影」という企画においては、編集部の後輩を公園に連れて行き、“無軌道な若者”を演じさせてモデルの女性の衣服をめくらせたこともあるらしい。
そんな狂乱の日々のなか、樋口は小説家になるための栄養を蓄えていた。樋口は雑誌『ニャン2倶楽部Z』の編集長を務め、読者投稿者とのマニア撮影も担当した。樋口の小説を読むと、どの作品でもセックスの描写が強く印象に残る。つまり、『ニャン2Z』時代の仕事は、樋口が文学に携わるベースのひとつになっているのでは……と感じた。
「大きいと思います。特に、僕の2冊目の小説『日本のセックス』なんか、コアマガジンで働いてなかったら絶対に書けないですね。ライターの藤木TDCさんからは、“樋口は白夜系の作家だ”と言われたことがあります。
例えば、かつて白夜書房に在籍していた僕の大先輩に、永沢光雄さんというノンフィクション作家の方がいて。彼は『AV女優』という創作まじりのノンフィクションを世に送り出し、世間で大変な評判を取ったんですね。当時、大家である立花隆も絶賛していました。やっぱり、あの本も白夜書房に在籍していた永沢さんだからこそ書けたものだと思います」