2024年7月13日、トランプ前大統領がペンシルバニア州で演説中に銃撃を受けて負傷しました。銃弾はトランプ氏の頭部を標的としており、幸運にも耳をかすめただけで、トランプ氏は無事でした。もしもトランプ氏に命中していたら、今後の世界情勢が大きく変わったのは間違いなく、これまでの“歴史”というものが、予測不可能で不確実なものが紡がれてきた産物であることを痛感させる出来事でした。
教科書にも記載されるかもしれない歴史的な暗殺未遂事件を受けて、SNSでは「テカムセの呪い」を指摘する声が上がっています。「テカムセの呪い」とは、アメリカ大統領に関する不思議な迷信として知られており、西暦で20で割り切れる年に選ばれた大統領が、任期中に亡くなるという一連の出来事を示すものです。
白人入植者と戦った先住民の指導者・テカムセ
この呪いの由来は、ショーニー族という先住民の指導者・テカムセにあります。時代としては、ヨーロッパの白人がアメリカに大陸に入植を始め、先住民の領土を奪っていく19世紀あたりにさかのぼります。
テカムセは1768年頃、現在のオハイオ州スプリングフィールド近郊で誕生しました。ショーニー族の一員として成長し、幼少期から白人との対立を体験しています。まだ小さい頃に父親を戦いで亡くし、そのあと母親とも別れることになりました。
1808年頃から、テカムセは部族の指導者として認められていきます。雄弁な演説家であり、優れた軍事指導者でもあった彼の目標は、白人の侵略に対抗するため先住民の諸部族を統一することでした。
テカムセが主導した一連の戦いは「テカムセの戦争」として知られており、白人(アメリカ合衆国)と、テカムセが率いる先住民連合とのあいだで戦いが繰り広げられました。
1810年8月、テカムセは400人の武装した戦士とともにウィリアム・ハリソン(後の大統領)と会見します。この会見で、テカムセはフォート・ウェイン条約の無効を主張し、白人の入植に反対の意向を示しました。
1811年11月、テカムセが南方へ遠征しているあいだに、ハリソン率いる軍隊がプロフェッツタウン(テカムセの弟が設立した拠点)に攻撃を仕掛けます。この戦いはティペカヌーの戦いとして知られ、アメリカ軍の勝利に終わりました。この敗北によって、テカムセの同盟は大きな打撃を受けることになったのです。
1812年に米英戦争が勃発すると、テカムセはイギリス軍と同盟を結びます。同年8月、テカムセはデトロイト要塞の包囲戦で大きな功績を挙げることに成功しました。しかし1813年10月、テムズ川の戦いでテカムセは戦死してしまいます。
彼の遺体については諸説あり、最終的な埋葬地は不明のままです。
「テカムセの呪い」に該当する大統領たち
テカムセの呪いの起源については、複数の説が存在します。
ティペカヌーの戦いに関連して、テカムセの弟であり預言者としても知られるテンスクワタワが呪いをかけたという説が最も一般的です。テカムセ自身が呪いをかけたという説も存在しますが、これらの説を裏付ける確かな歴史的証拠は見つかっていません。
しかしながら、1840年から1960年までの120年間、20で割り切れる年に選ばれた大統領は任期中に全員亡くなっています。
テカムセと実際に戦ったハリソン大統領(1840年選出)は肺炎で亡くなり、1860年に選ばれたエイブラハム・リンカーン大統領は暗殺されています。
このような出来事が、1960年のジョン・F・ケネディ大統領まで続いたのです。
・ウィリアム・ハリソン (1840年選出、1841年死亡、死因:肺炎)
・エイブラハム・リンカーン (1860年選出、1865年死亡、死因:暗殺)
・ジェームズ・ガーフィールド (1880年選出、1881年死亡、死因:暗殺)
・ウィリアム・マッキンリー (1900年選出、1901年死亡、死因:暗殺)
・ウォレン・ハーディング (1920年選出、1923年死亡、死因:心臓発作、心臓麻痺)
・フランクリン・ルーズベルト (1940年選出、1945年死亡、死因:脳出血)
・ジョン・F・ケネディ (1960年選出、1963年死亡、死因:暗殺)
しかし、1980年以降は呪いの効き目がなくなったように見えます。
1980年に選ばれたロナルド・レーガン大統領は暗殺未遂に遭いましたが、生き延びています。2000年に選ばれたジョージ・W・ブッシュ大統領は、9.11同時多発テロを受けて「テロとの戦い」を強硬に推し進めましたが、無事に任期を終えることができました。
そして、本来なら呪いに該当する、ジョー・バイデン大統領(2020年選出)も高齢に伴う健康不安説が指摘されていますが、今のところ健在です。