僕のやる番組はみんな地味だけど長く続く

――では、これまで頼まれたなかで一番びっくりした仕事ってなんですか?

ピーター:テレビのバラエティ番組。数回しか出たことないけど、それは自分には合わないなって。だんだん声がかからなくなったんでよかった(笑)。

あとは『CBSドキュメント』をやってた頃のこと。あれは台本で何を喋るか全部リハーサルしてやってた番組なんだけど、あまりリハーサルしましたって感じに見えちゃうと、見てる人が興醒めしちゃうじゃないですか。

それで、できるだけ自然に映るようにしてたら、僕がなんでも知ってるみたいに映っちゃったらしくて、“国際情勢について語ってくれ”みたいな仕事の依頼が来るようになっちゃったんですね。それはさすがにできないと丁重にお断りしました(笑)。

――『CBSドキュメント』は本当にすごい番組でしたね。あの番組を担当したことによって、ピーターさんの信頼度がますます上がったと思います。

※CBSドキュメント……1988年から2010年までTBS系で放送されていたドキュメンタリー番組。バラカン氏は解説役を務めた。 2010年から2014年までは『CBS60ミニッツ』としてCSで放送。

ピーター:そうかもしれませんね。あの番組は本当はやるつもりはなかったんです。最初お話をいただいたときに、プロデューサーに「無理です」と言ったんですけど、どうしてもやってほしいということで。VHSのテープを1本渡されて、とりあえず見てくれと。

その素材があまりにも面白かった。おそらく半年くらいでクビになるんじゃないかと思いつつも、こんな面白いビデオを毎週見られるんだから、クビになったらなったで別にいいじゃないかと。それで受けたんですよ。

――それがあんな長寿番組になるとは……。

ピーター:そう、26年(笑)。僕のやる番組はみんな地味だけど長く続くんです。『バラカンビート』(InferFM:1996年スタート)もそうだし、『ウィークエンドサンシャイン』(NHK-FM:1999年スタート)もそうだし、『The Lyfestyle MUSEUM』(TFM:2008年スタート)もそう。

▲僕のやる番組はみんな地味だけど長く続くんですね

――長寿番組の秘訣というのがあるんですか?

ピーター:いやいや(笑)。ニッチなんだろうね。他の人がやろうとしてないものを、たまたま一手に引き受けてる(笑)。

――自分の好きなものを貫き通しているのがスゴいです。

ピーター:そうですね。好きなことしかやってない。だからよく、体を酷使してるんじゃないかと言われるんだけど、別に全然そんなことはなくて、寝れば元気が出るものだから(笑)。精神的にも肉体的にも無理はしない。

10年続けた音楽フェスを今年で区切る理由

――ピーターさんが監修する音楽フェス『Peter Barakan’s LIVE MAGIC!』は、10回目の今年をもってファイナルとなりますが、この10年間をどう振り返っていますか。

ピーター:そうね、正直言って大変なことが多かった。でも、毎年毎年とてもいいミュージシャンに集まってもらって、本番が終わると、みんな気分がいいんですよ。フェスをやるっていうのは、お金の面でいつも大変だし、アーティストのブッキングも、 もうすでにスケジュールが入ってるとか、ギャラが高すぎて呼べないとか、ツラいことが多かったんだけど、『LIVE MAGIC!』をやってなければ出会えなかったミュージシャンもたくさんいたから、よかったと思ってます。

やっぱり一年目のジョン・クリアリーとか、よく覚えてますね。あと、大赤字だった2年目のダイメ・アロセナっていうキューバの若い女性とか。最初から最後までずっと出てくれる、濱口祐自っていうすばらしいギタリストも忘れられない。彼との出会いは大きかったですね。

※ジョン・クリアリー……イギリス出身、現在はニュー・オリンズを拠点に活動するシンガー / ピアニスト。

▲音楽フェスと映画祭について教えてくれた

――今年のラインナップのポイントはどこになるんでしょうか。

ピーター:相変わらずバラバラ(笑)。小規模なフェスでは「こういう傾向の音楽」って路線を決めると、それに見合ったお客さんが来るというのがあるんですけど、うちはバラバラです。

――共通点はピーターさんが選んだってことですね。

ピーター:そうだね。マシュー・ハルソールは、僕が去年、一番好きだったレコード(『An Ever Changing View』:23年)を作った人ですし。僕が呼ばなければ日本には来られないだろうと思って。しかも7人編成のバンドですからね。『LIVE MAGIC!』では予算の関係で大所帯のバンドは呼べないんですけど、最後だからドーンとフルセットで。

ノーラ・ブラウンは、現役の大学2年生なんですけど、彼女は学校をちょっとだけ抜けて来てくれるんです。それから里アンナ。最近、奄美大島の島唄がすごく好きになって、この人のことは去年知ったばかりなんですけど、彼女の歌が好きでね。

――9月6日から19日までは恒例の映画祭『Peter Barakan’s Music Film Festival』もありますね。もう4年目になります。

ピーター:今回、すごくいい作品が集まってます。金曜・土曜・祝日は、最初から最後まで僕が劇場にいて、各作品の終演後にちょっと話をします。クレア・ジェフリーズやモーリーン・ゴズリングなど、今回公開される作品を撮った監督たちもゲストに来ますよ。

――楽しみですね。それでは今一度、50年の総括を伺いたいんですが、ピーターさんが50年経っても慣れないことやイヤだなと思っていることはありますか?

ピーター:いろいろあると思います。一つは電車や飛行機のアナウンス。過剰なんですよね。要するに大人扱いしてもらえてない状態。最近は日本語版と英語版が自動で続けて流れるじゃないですか。それなのに車掌が生でさらにアナウンスすることもある。それが毎回ストレスになるんですよ。50年経ってるんだから「そろそろ慣れろ」って言われそうなものだけどね(笑)。

――じゃあ反対に「ここは大好き」という部分は?

ピーター:いっぱいあるけど……僕も当たり前になってしまってて気がついてないところもあると思いますね。一番は「丁寧に仕事をすること」かな。それは海外に行くとすごくわかる。日本人は良くも悪くも細かいことにこだわるけど、丁寧に仕事をしているから社会が円滑に回るというか、それで日常生活のストレスがだいぶ軽減されていると思います。

僕は22歳までロンドンにいたから、基本的な価値観っていうのは、ロンドンの価値観なんです。日本に来たのは大人になってからだから、どうしてもある程度の距離がありますね。でも、それは仕事のうえで役に立っていて、その距離があるからこそ使ってもらえてる。僕が完全に日本人みたいになったら価値がないですよね(笑)。

(取材:美馬 亜貴子)


プロフィール
 
ピーター・バラカン(Peter Barakan)
1951年ロンドン生まれ。ロンドン大学日本語学科を卒業後、来日。 現在フリーのブロードキャスターとして活動、『バラカン・ビート』(インターFM)、『ウィークエンド・サンシャイン』(NHK-FM)など多数のラジオ番組を担当。著書に『Taking Stock ぼくがどうしても手放せない21世紀の愛聴盤』(駒草出版)など。