アイドルグループ「HKT48」の6期生、梁瀬鈴雅(やなせ・れいあ)さんの連載「鈴の音」。この連載では、梁瀬鈴雅がこれまでの人生で出会ってきた「人物」について、彼女自身の言葉で綴ってもらいます。

第三回となる今回は、初の主演映画が急に決まった梁瀬さんが直面した心身の不調と、そこで出会ったメイクさんとの邂逅について。

梁瀬さんが困難を抱えながらも仕事を続けていく理由がこの文章に詰まっています。
▲梁瀬鈴雅(HKT48)連載「鈴の音」 第三回

急遽告げられた映画の主演

映画の主演が決まった。演技の経験は全くなかったし、興味を持ったこともなかった。事務所の大人に言われるまま受けたその映画のオーディションには一度落ちている。すっかり終わった話だと思っていた頃、社長に呼び出された。「向こうからの指名で、主演を梁瀬にしてほしいと連絡があった」

その一言を聞いた瞬間は、すぐには意味が掴めなかった。まさか一度落ちた自分に声がかかるなんて。遅れて状況が分かってきた途端、驚きと嬉しさが同時に押し寄せてきた。

ただ、その日はコンサートを控えていて、正直それどころではなかった。それでも、2日後には映画の衣装フィッティングが入っていること、さらに1週間後には撮影がもう始まることを告げられ、その場で台本も手渡された。「今夜台本を読んでじっくり考えて、明日決めてもいい。主演だからセリフ量も多いし、もし無理そうだったら断ってもいい」そう言われたけれど、撮影まで時間がない中でここで断ったら色んな人に迷惑をかけてしまうと思った。それに、何より大きな仕事を逃したくない一心でその場で「やります」と答えた。

それからまもなく、フィッティングのため北九州へ向かった。そこには衣装スタッフのほか、監督をはじめとする撮影スタッフ、メイクスタッフ、そして他の出演者達が揃っていた。撮影前の顔合わせも兼ねた場なのだろう。

現場にいた人達は私が急遽キャスティングされたことを知っていて、「大変でしょう」と優しく声をかけてくれた。周りを見渡せば、出演者はほとんど俳優業を主にしている方達ばかりで、場違いな自分がどう見られているのか、そればかりが気になった。撮影の打ち合わせが進む中、右も左も分からず話の内容にもついていけなかった。

▲撮影現場にて

その時、突然、視界が揺れた。治ったと思っていた起立性調節障害の症状が急に出てきたのだ。目の前が暗くなり、そのまま倒れてしまった。

周りの人達がすぐに駆け寄ってきて、椅子や水を用意してくれた。誰かがずっと背中をさすってくれて、少しずつ呼吸が整ってきた頃、急に焦りと不安が込み上げてきた。撮影はただでさえ大変なのに、余計な心配も迷惑もかけたくない。きっと気を遣わせてしまうから、病気のことは知られたくなくて、思わず「貧血で」と嘘をついた。身体の不安と共に、なんとなく、不吉な予感に襲われた。

咳が止まらず、呼吸が上手くできない

それから撮影までの日々は、記憶が曖昧になるほど過酷だった。次のコンサートも決まり、その準備にも追われていた矢先、さらにトロンボーンの演出までもが追加された。リハーサルでは息が切れるまで踊り、その合間には思うように吹けない楽器と格闘する。家に帰れば今度は台本。覚えるまでは寝ないと決め、睡眠時間を削って無理やりセリフを脳にねじ込む。セリフ、ダンス、トロンボーン。毎日がその繰り返しで、限界などとっくに超えていた。

撮影の前日、私は現地へ前日入りすることになっていた。トロンボーンは持っていけないので、マウスピースだけ鞄に入れた。その朝から、どうにも身体の調子がおかしかった。

咳が出る。

私は持病のこともあって、普段から人より体調の変化に異常なほど敏感だ。特に大事な日の前に体調を崩すわけにはいかないというプレッシャーから、かえって体調を崩しやすいことも分かっていた。一応熱を測ってみたけれどいつも通りの平熱。これは気のせいだ、思い込みだ、と自分に言い聞かせ、とりあえず咳止めだけ持って家を出た。

しかしその夜、ホテルに戻ると咳はさらにひどくなっていた。母と電話で台本の読み合わせをしていても、咳で何度もセリフが途切れ、まともに進まない。「今日はもう休みなさい」と言われ電話を切ったものの、ベッドに横になっても咳は止まらなかった。胸の奥が焼けるように苦しい。呼吸が上手くできない。眠ろうとしても眠れず、ただ時間だけが重く、長く過ぎていく。いつ眠りについたのかも覚えていない。

翌朝、目覚ましに叩き起こされた時、昨夜飲んだ咳止めが効いたのか咳はおさまっていた。1時間くらいは眠れただろうか。わずかな安堵と同時に、今日こそなんとかしないと、と焦る。急いで台本を手に取りセリフを読もうとすると、今度は声がかすれて思うように出ない。最悪だ。どうしていつもこの身体は私の邪魔をするのだろう。もう考えている暇は無い。とにかく喉に良さそうなのど飴や温かい飲み物を両手いっぱいに買い込み、現場へ向かった。

挨拶をした瞬間、メイクさんに声の異変を気づかれてしまった。「昨日から咳が止まらなくて…」と説明すると、メイクさんが驚いたように言った。「あれ、あの咳、れいあちゃんだったんだ!」どうやら真夜中の咳が、ホテルの他の部屋にまで響いていたらしい。自分の体調管理の甘さ。そして何より、周りの人達の休息まで奪ってしまった事実。全身が強張った。また人に迷惑をかけてしまった。罪悪感で胸が張り裂けそうだった。

どうしていいか分からず立ち尽くしていると、メイクさんが小さな瓶をそっと渡してくれた。

「これ、手に塗って深呼吸すると落ち着くよ。あげる」

渡されたのはアロマだった。ラベルの端が擦れ、だいぶ使い込まれている。使い方が分からず戸惑っていると、彼女は私の手にそのアロマを塗り、顔の近くまで持ってきてくれた。鼻を抜ける、ハーブのいい香り。少し強いくらいのその香りが、張り詰めていた心をほんの少しだけ緩ませてくれた。

▲撮影現場にて