1990年の開幕戦はビデオ判定があったら…
ただ、俺がヤクルトの監督に就任した最初の年、1990(平成2)年の巨人との開幕戦。あれはビデオ判定があったら結果は大きく変わっていたよ。
問題となったのは、うちの2点リードで迎えた8回裏、巨人の攻撃。2アウトランナー一塁で、バッターは2番の篠塚(和典)。ここまで3打席とも内野ゴロで打ちとっていた。4打席目の篠塚は、内藤(尚行)の初球をライト方向に打ったんだけど、打球はポールの外側へ切れていった。
やれやれと思ってたら、審判が手を回してんだよ。ホームランだって。それで同点。おい、ふざけるなと。俺が座ってた三塁側ベンチからだって、ファウルゾーンに落ちてくのがはっきり見えてた。あとで家に帰って録画も見たけど、思いきりファウルだった。あれを間違えるかね。実況してたアナウンサーも、スローVTRを見ながら「あ、これは……」って絶句していたじゃない。
そしたら、解説してたのが長嶋だったんだけど、「うーん、これは微妙ですねぇ」とか言ってる。微妙もなにも、誰が見てもファウルだろ。実際、篠塚も後にファウルだったと認めてるしな。あのときはガッツポーズまでして一周してたけど。打たれた内藤は、もうベターっと四つん這いになってた。あいつもファウルだとわかっていたから、冗談じゃないって気持ちだっただろ。
外野のポールが白から黄色に塗り替えられた
もちろん俺は、ベンチを飛び出して猛抗議した。どこ見てんやと。そしたら審判、「ポールを巻いて入った」と言い張りよる。どうポールを巻けばあんなとこに落ちるんだと。だから「物理的に証明してみろ!」と怒鳴ったんだよ。そしたら退場。
審判に手を出したわけでもなく、「説明しろ」という当然の抗議をしただけなのにな。判定も判定なら、あの退場処分もいまだに意味がわからん。そんなことだから、セの審判は巨人びいきだと昔から言われるんだよ。
ちょうどあの年は、審判が6人制から4人制に変わった年で、判定を下したのは、大里(晴信)さんという一塁の塁審なんだよ、茨城出身の人で。たしか、この誤審が理由で、一時期だけど二軍落ちしてるはずだよ。
これがきっかけで、次の年から外野のポールが白から黄色に塗り替えられたんだけど、塗り替えなくたって十分見分けられるような打球だったと思うよ。
思えば、パ・リーグで現役だったときから、日本シリーズでは巨人寄りの審判には痛い目にあってきたわけで、セ・リーグの監督になって、またこういうことで苦しまなきゃならんのかと愕然としたね。今まで巨人は、一体どれくらいの試合を、こういう誤審で勝ってきたのかと思ったくらいだ。
結局、その篠塚の“ファウル”で巨人に同点にされ、延長14回裏に押し出しでサヨナラ負け。このシーズン5位に終わった責任を、すべてこの開幕戦のせいにするつもりはないけど、こういう形でスタートでこけたのは、選手にとっても俺にとってもかなり痛かったよ。