野沢ダイブ禁止・かまぼこ体育館からなるお笑いコンビ・虹の黄昏。独特な芸風と勢いは業界内外で注目を集め、ケンドーコバヤシ、ハリウッドザコシショウなど、名だたる芸人が賛辞を惜しまない彼ら。

舞台上ではいつもボケ続け、なかなかパーソナルな部分が見えてこない二人。そんな彼らの笑いの裏側には、常に全力で挑む姿勢と、観客を楽しませるための工夫が詰まっていた。出会いから、唯一無二のスタイルを確立するまでの道のり、そして舞台に立つときの心構えをニュースクランチ編集部がインタビューした。

▲虹の黄昏(野沢ダイブ禁止 / かまぼこ体育館)【WANI BOOKS-“NewsCrunch”-INTERVIEW】

親に嘘をついてNSCに入学した野沢ダイブ禁止

――お二人の出会いから教えていただけますか?

野沢ダイブ禁止(以下、野沢)​:二人とも地元は茨城県なんですけど、高校生のときに相棒と同じ学校になったんすよ。自分の地元の友達が相棒と同じクラスで、「面白いヤツがいるんだよ」って紹介してもらったのが最初の出会いでした。

かまぼこ体育館(以下、かまぼこ):昔は面白かったんですよ。高校の頃が全盛期。それからゆっくり下降しています。

野沢:今ピークを持ってこいよ!

――(笑)。そこで出会わなければ虹の黄昏は誕生していなかったんですね。

かまぼこ:小中は違うし、地元が一緒じゃなかったから、高校でもすごく仲が良いってわけでもなかったんですけど。

野沢:なんなら、かまぼこ体育館は諸事情で途中から高校からいなくなったしね。

かまぼこ:校長と学年主任と担任が、うちに来て「頼むから辞めてくれないか」ってお願いされたので。

野沢:聞いたことねえよ。

かまぼこ:しっかり、言えない理由で(笑)。

野沢:結局、他の高校に行ってね。

かまぼこ:東京の学校に編入して、そこでも2回ダブってるから、20歳で卒業。

野沢:なんで辞めねえんだよ(笑)、普通は諦めるだろ!

かまぼこ:勉強は好きだから! 20歳で卒業すると良いこともあって、卒業式で俺だけ祝杯できました。

――(笑)。野沢さんは高校卒業後、どのように?

野沢:実家が美容室なんですけど、長男だから継げと言われて専門学校に行ったんです。その頃は夢もなかったんで、卒業して国家試験も取りました。でも、地元で働き始めたら、仕事が好きになれなかったんすよ。そんなとき、仕事が終わって、遅くに部屋のテレビをつけたら、『はねるのトびら』がやってて。

――まだ深夜帯の頃ですね。

野沢:そう。お笑い番組は好きだったんですけど、そのときはひときわ輝いて見えたんです。仕事で疲れていたけど、めちゃくちゃ元気になったし、改めてお笑いはパワーもらえるなって感じたんすよね。

そこから、自分がパワーを与える側になりたい! と思うようになって。23歳のときに美容師を辞めて、上京資金を半年くらいかけて貯めたんです。でも、親や友達にも「芸人になりたい」とは言わずに、「音楽関係の仕事する」って嘘を言って、上京して吉本のNSCに入りました。

――NSCに通ってたんですね。

野沢:で、高い金を払って東京NSCの10期生として入って。同期はオリエンタルラジオ、トレンディエンジェルとか、今でも活躍している人ばかり。オリラジなんて、在学中からM-1の準決勝に行ったり、テレビに出たりしてて焦りましたね、早く売れないとって。自分は24歳で入ったので、周りと比べると年齢が上だったのもあるんですけど。

とにかく相棒を見つけようと思ってたんですけど、訳あって停学になって、3か月間ずっとNSCの周りの掃除して、停学を解除してもらって。

かまぼこ:真面目だなあ~。

野沢:ダブっても高校に行ってたお前に言われたくねえよ! で、やっと復帰できてコンビ組んだこともあったんですけど、なんかピンとこなくて。それでフェードアウト。体感2秒で辞めましたね。俺にとっちゃ意味なかった。それからはフリーターしながら、友人に相方を探してるって相談したんです。そこで相棒が暇してるって聞いて、久々に再会しました。

――かまぼこさんは20歳で高校卒業したあと、何をされていたんですか?

かまぼこ:1回も就職せず、プラプラしてるだけ。サーフィンして、ナンパして、酒飲んで……。もうずっとそれでいいと思っていました。22歳ぐらいでデザインの学校に行ったりもしたんですけど。

野沢:お前、学校好きだな!

かまぼこ:ずっと生徒でいたい。

野沢:学校側はいい迷惑だよ。

かまぼこ:表現するのは好きだから、劇団に電話してオーディションを受けたこともあったんです。受かったこともあったんですけど、劇団の食事会がつまんなくてすぐ辞めました。