プロレスへの偏見
プロレスという言葉が持つイメージが予想以上に、そして悲しいくらいに良くなかったのだ。
「野蛮」「痛そう」「血が出るんでしょ?」……。
とくに女性の反応はそういったものが多く、僕は「現状を打破するには、プロレスを一回ブッ壊すしかない」と決意した。先入観が邪魔をして興味を持ってもらえないなら、それを取り払えばいい──。
だから、プロモーションで人と接するときに、僕はプロレスラーであることを捨てた。
体格はいいけど、世間一般の方々と変わらないような振る舞いを心がけた。
すると、今までとは違った反応が返ってきた。
「棚橋さんってプロレスラーっぽくないですね」──。
プロレスラーらしくないことが〝プロレスラー棚橋〟の最大のセールスポイントとなり、自分にしかできないことがあるはずだと気づいたのだ。
若手の頃はタンクトップばかり着て肉体を誇示し、プロレスラーとして見られることに最大の喜びを感じていた。まさに筋肉と自己顕示欲の塊だったわけだが、そんな自分が服装に注意を払い、相手に威圧感を与えないことを心がけて、肉体がうまく隠れるようにした。
そうすると、プロモーションに協力してもらえるメディアも次第に増えていった。
メディアに出る機会が増えれば名前を知ってもらえる。
名前を知れば興味を持ち、好きになってもらえる確率も高まる。
このような好循環ができたとき、タイミングよく思いついたのが「100年に一人の逸材」というキャッチコピーだった。
その目的は“人の心に残るため”──。
必ずしも額面どおりに受け取ってもらう必要はなく、「何を言ってるの、この人?」でもいいし「嘘、大袈裟(おおげさ)、紛らわしい」でも何でもいい。とにかくスルーさせないことが目的だったのだ。
そして、地道に言い続けていった結果、いまや「100年に一人の逸材」は僕のキャッチコピーとして定着し、他ジャンルでもパロディのように用いられるようになった。
※本記事は、棚橋弘至:著『カウント2.9から立ち上がれ!(マガジンハウス刊)』より、一部抜粋編集したものです。