つらい状況を耐えたその先に本当のチャンスがやってくる。ガラガラの会場、ブーイングの嵐、会社の身売り……。存亡の危機にあった新日本プロレスを支え続け、プロレスファンからの罵倒を乗り越え、不動のエースになった「100年に一人の逸材」は、逆境の中でもがきながらも、言葉を力にして立ち上がった。棚橋弘至が、その“力強さ”と“怖さ”を語る。
100年に一人の逸材
「新日本プロレス〝100年に一人の逸材〟棚橋弘至です」──。
僕は挨拶をするとき、「100年に一人の逸材」と自ら考えたキャッチコピーを、
必ず名前の冒頭につける。
このキャッチコピーを考えたのは2008年12月。当時、IWGPヘビー級王者の武藤敬司(むとうけいじ)選手とのタイトルマッチ(2009年1月4日・東京ドーム)を目前に控えているときだった。
武藤さんは誰もが認めるプロレス界の超大物。知名度、体格、過去の実績、ファンの支持──、それらがすべて自分よりも上だった。
そんな強敵を前に、「どうすれば自分に追い風を吹かせることができるのか?」……。僕は思案を重ね、「未来で勝負するしかない!」という発想に至った。
「棚橋がチャンピオンになったら新日本プロレスはどうなっていくのか?」という、少し先の未来や可能性を感じさせることが必要だと思ったのだ。
こうして生まれたキャッチコピーが「100年に一人の逸材」だ。
でも、世の中は甘くない。武藤さんとのタイトルマッチ調印式で初めてこのフレーズを披露したとき、プロレスファンで溢(あふ)れた会場は盛り上がることなく「シーン……」と静まり返った。その光景はいまでも忘れられない。
だが、そのくらいでは心が折れないのが僕の圧倒的長所。雨の日も風の日も「100年に一人です!」「逸材です!」としつこく言い続けた。