更生施設にいた男が出所後も番号「45」で呼ばれる。己の名前を取り戻すには更生しなければならない。「更生」とは何か――名前を失った男が名前を取り戻すためにもがき苦しむ物語。お笑い芸人・福田健悟が綴る、善と悪の定義が問われる自伝的ファンタジー小説。現実と空想を行き来する物語がいよいよ幕を開ける。
僕は出所後も「45」と呼ばれていた!
まさか彼とコンビを組むことになるとは思わなかった。
コンビ名は『プリズンフリー』。お笑いコンビというのは、同級生コンビや年の差コンビなど、さまざまな組み合わせがある。テレビの世界で活躍しているコンビのほとんどが、対等な関係性だ。上下関係が目立つコンビは、見ていて冷めるのだろう。
その点で言えば、我がプリズンフリーに上下関係はない。とはいえ、僕が相方に頭の上がらないコンビであることは間違いない。それは十何年も前から、相方にはお世話になりっぱなしだからだ。売れるかどうかはわからない。相方の芸歴は0日。今日は彼の初舞台の日。対する僕の芸歴は、約10年になる。そこそこ知名度はあるほうだ。つい最近も記者会見を開いたばかり。自分が事件を起こしたのだから仕方がない。この事件のキッカケになった要因は、17年前まで遡る。
この頃の僕は番号で呼ばれていた。留置所で「45」と呼ばれ、鑑別所で「45」と呼ばれ、出所した後も「45」と呼ばれていた。
最初はドッキリだと思っていた。留置所で「45」と呼ばれていたことを、誰かが言いふらしているに違いない。この時はまだ不思議というより、怒りの感情。お笑い芸人ならまだしも、一般人の自分が「45」とイジられても面白くなかったし、何よりしつこかった。サスペンス映画の主人公になってしまったのかもしれないと思ったのは、次の出来事があったからだ。
それはまったく見ず知らずの赤の他人が、自分のことを「45」と呼んだこと。それだけじゃない。免許証や保険証の名前も「45」に変わっていた。どれだけ指で擦っても、修正した跡はない。ダメ押しで役場に住民票を取りにいった。卒業アルバムや免許証は、手の込んだイタズラで書き換えた可能性は0%じゃないが、住民票の場合は100%イタズラで書き換えることは不可能だ。役場の窓口で番号札を渡されて待っていた。
「45番の方〜」
「はい!」
思わず返事をしたが、呼ばれたのは別の人だった。身体に「45」が染みついて、自然に反応してしまう自分が嫌だった。
「52番の方〜」
52番で待つ「45」。変な気分だ。周りからは不気味な笑みを浮かべて見えていたと思う。手渡された住民票の名前の部分には「45」と書いてある。俺は福田健悟だ。そう口にすればするほど、変な目で見られた。真剣に医者を勧められたこともあるが断った。おかしいのは周囲の連中だと思っていたからだ。おかしくなったのは自分だとわかった瞬間に、思考回路がグチャグチャになる感覚に陥った。
その男はある日突然、僕の前に現れた!
病院に行って診断をしてもらっても、原因は不明。あまりに真剣に訴えているのを見かねて、医者は精神安定剤を処方したが、飲んでも緩和しなかった。誰に相談しても共感してもらえない。孤独と不安で気が狂いそうになった。他に方法を見い出せず、病院に通院する日々は続いた。この日も病院に行って、肩を落としながら帰っていた。その途中で、『プルーム』という昔なじみの喫茶店に立ち寄った。エルビンに呼ばれたからだ。エルビンは鑑別所で知り合ったブラジル人だ。
「カランコロンカラン」
この店はいつも常連客で賑わっている。珍しく知らない男が来た。40代前半。七三分けでメガネをかけた細身の男。スーツを着ているからサラリーマンだろう。
「おばちゃん、アイスコーヒーまだ?」
「ちょっと待ってな! せっかちは良くないよ、45」
ケーちゃんケーちゃんと呼ばれていた頃が懐かしい。景子おばちゃん。2人ともケーちゃんだね。こんな話をして盛り上がっていたのは過去の話。悪いことをすれば叱ってくれて、両親が出かけていたときは話し相手にもなってくれた。
「すみません、私もアイスコーヒーで」
サラリーマン風の男もアイスコーヒーを頼んだ。声はか細い。注文を頼みながら、何度も会釈をしているのを見ると、気を遣う性格なのは一目瞭然。色白でいかにもインドア派の陰タイプという雰囲気だ。2人のアイスコーヒーは同時に運ばれてきた。
「はいよ! 一気に飲んじゃダメだよ! お腹冷えるからね」
「わかってるよ! 何歳だと思ってんだよ」
「45は昔から変わんないからね」
たしかに何も変わっていない。「福田健悟」から「45」に変わったこと以外は。45か……もうこの呼び方を受け入れて生きていくしかないのか。半ば諦めの気持ちで感傷に浸っていた。
「番号は嫌ですか?」
ん? 誰だ? この声はさっきアイスコーヒーを頼んだ男と同じ声だ。振り返ると、サラリーマン風の男はコッチを見ている。僕に言ったのだろうか? 番号は嫌ってなんだ? 聞き間違いか? 次から次へと沸き上がる疑問に頭が追いつかない。
「名前……取り戻しませんか?」
マズい。目の焦点が合わない。この男がしゃべればしゃべるほど、自制心を失う。いつもならコントロールできる表情や感情も、すべて制御できなくなっている。息が荒くなって、目眩も起こし始めたが、必死に理性を駆使して言葉を吐き出した。
「どういうことだよ」
男はスッと立ち上がって、テーブルの上に名刺を置いた。
法務省 特別監査室 呼称返還係 第一主任 野口徹郎
「オイ、待てよ!」
コースターの間に1000円を挟んで出て行くときの顔は、少し笑っているように見えた。