アーティストでもあり俳優でもある高野洸が、対談を通してアートの世界に触れ、表現を学ぶ「お訪ねアトリエ」。今回のゲストは、鈴木セイゴさん。
現代と江戸時代をミックスした浮世絵風の作品で人気のイラストレーター鈴木セイゴさん。積極的に作品をSNSで発信することでファンを増やしてきた鈴木さんの作品は、はつらつとした女性の姿をシンプルな線で描いているのが特徴。11月11日に発売された画集『うっつく -日ノ本美人寄-』を見ながら、鈴木さんのイラストの原体験や、作品への向き合い方などを伺った。

絵を描くことはコミュニケーション
――鈴木さんは、2、3歳頃から絵を描いていたそうですが、漫画を読むような年齢になる前、物心がつく前から描かれていたんですね。
鈴木:以前にもインタビューで、話させていただいたことがあるのですが、両親はいるのですが、僕は祖母の家で過ごすことが多くて、その祖母が教育としておもちゃとかを買い与えないっていう方針だったんです。でも、僕は目の前にあるおもちゃがほしいっていう気持ちがあるので、じーっと眺めて、そのおもちゃを家で思い出しながら絵で描くっていうことをしてました。
それが自分にとっての普通だったんです。あまり人との会話を楽しむ子供ではなかったんで、自分の世界にこもって、一人遊びをするのが好きで、人とコミュニケーションを取るよりも、気持ちを絵に描いて発散するみたいな、そんな子供だったと思います。
高野:自然に絵を描く環境、流れができあがっていったんですね。
鈴木:絵を描くっていうのは、自分にとって特別なことではなくて、日常で誰かと会話するような、ライフスタイルみたいなものなんだと思います。
――好きな漫画家とか、作品に出会って、意識するようになるのは、もうちょっと大人になってからですか。
鈴木:そうですね。物心ついた頃から漫画を読むようになって、鳥山明先生の『ドラゴンボール』(集英社刊)とか、『Dr.スランプ アラレちゃん』とか、昔の漫画を読んだりするのが好きでした。その中に『鳥山明のヘタッピマンガ研究所』(集英社刊)という、鳥山明先生とさくまあきら先生の本と出会って、そこに漫画の描き方とか、キャラクターの等身の取り方とかが全部載っていたんです。小学生なりに何度も読みなおしながら漫画っぽい絵を描き始めました。なので、模写をたくさん描いていましたね。
高野:鳥山先生素敵ですよね。僕も大好きです。

――やっぱりみんな通る道なんですかね? 鳥山明作品は(笑)。
鈴木:そうですね、鳥山先生のDNAが入っていない日本人はいないかも (笑)。
高野:はははは(笑)。
――模写から入って、自分の絵を確立していくのって大変ですよね。
鈴木:大変ですね。誰も描いていないものを1つ見つけるっていうのも、修行みたいな、禅問答みたいなとこまでいきます。
高野:模索している時期に、絵を描くことが嫌になったりしなかったですか?
鈴木:スランプになり過ぎて、スランプが通常みたいな、当たり前みたいになっちゃったんで(笑)。だから、何か1つ習得できたら、それだけ喜びも倍になるので、取り組むハードルがすごく下がりました。
高野:それでも向上心を持って、絵を上達するために色々やったりされてたんですね。

鈴木:絵のために色々やりましたね。水彩画をやってみたり、映画をいっぱい観たり、何するにも絵のために吸収しようと思ってました。
高野:社会人として仕事もできてるし、もう、絵は趣味でいいやとはならなかったんですね。
鈴木:やっぱり自分には絵しか取り柄がないので、なんとか絵でみんなに認めてもらいたい、絵描きとして仕事をしてみたいっていう意識は、ずっと手放せられなかったですね。だからこの歳までずっとやってました(笑)。
――では、例えば自分が70歳とか80歳になっても絵を描いていると思いますか?
鈴木:多分、絵は飽きるまでやると思います。まだやりたいアイデアがいっぱいあって、時間が足りないですね。
高野:それはすごいですね。今のスタイルで描きたいことがいっぱいあるんですね。
鈴木:実際に浮世絵が描かれていた江戸時代の文化や、人々の暮らし、考え方っていうのも面白いので、もっと取り込んで当時の人々の価値観っていうのを反映した絵が描きたいっていうのもあります。そして、そういうのを描いてSNSにアップしたときに、歴史に詳しい人達から、“これはそうじゃないよ、本当はこうなんだよ”なんて、反応がきたら、逆にうれしくなっちゃいますね。


高野洸










