ミニマリストに代表されるような装飾のない部屋、モノを持たない暮らし――それも確かに素敵ですが、人間である以上、“記憶”を捨てて生きることはできません。「人生100年時代」に差し掛かり、後半生が長くなればなるほど、記憶は孤独を癒やすパートナー。だからこそ、記憶を“思い出す”ためにモノに囲まれて暮らそう、作家の五木寛之氏はそう語ります。その哲学には、戦後の引き揚げ時に自身の命を助けてくれた“あるモノ”との絆がありました。
※本記事は、五木寛之:著『捨てない生きかた』(マガジンハウス:刊)より一部を抜粋編集したものです。
デコラティブな暮らしが好まれた時代もあった
ヨーロッパを中心に、19世紀末から20世紀の初めにかけてアール・ヌーボーという様式が大流行した時代がありました。いろんな装飾品を身のまわりいっぱい、部屋中に飾るというような、デコラティブな暮らしが好まれた時代です。
今はそういう時代ではありません。装飾をかえって嫌います。ミニマリズムと言われている北欧系の家具に見られるような、どちらかというと直線的でシンプルな形が好まれるライフスタイルが主流になっているようです。
ファッションもずいぶん変わりました。戦後の一時期を彩ったロカビリーやみゆき族、アイビーやヨーロピアンなどとは違って、男性も女性も今の服装はとてもシンプルです。ジーパンとTシャツがあればそれで済んでしまいます。
クローゼットのなかには何もなく、「えっ、こんなにすっきりと暮らしているの」と感心されるような暮らしかたが、今風のアーバンライフとして支持され慫慂(しょうよう)されているという流れがあります。身のまわりに雑多なモノがあるのは、ネガティブなイメージとして受け取られます。
モノに埋もれて辟易している現代人、というものから脱出しようとして、10年ほど前に断捨離という言葉がたいへん話題になりました。そういった捨てるということに熱意を燃やした時期があって、現在もまだその流れのなかにあるようです。
しかし、これから人生100年という時代が本格的にやってきます。50歳を過ぎて、さらにあと50年も生きなければいけないという時代になってくると、ぼくなどはまさにそうですが、人間関係において、先に逝く友人知人はどんどん増えてくるし、まわりの人たちと関わる仕事の場もまた少なくなっていきます。
そうなっていくと、孤独というのでしょうか、やはりそういうものが非常に大きな問題として、私たちの目の前に立ち現れてくるわけです。
ぼくは、孤独を癒やすひとつのよすが(縁)として、モノに囲まれて暮らすということがあると思っています。
モノに囲まれているということは、じつは〈記憶〉とともに生きているということなのです。
モノは「記憶」を呼び覚ます装置である
モノには、「モノ」そのものと同時に、そこから導き出されてくるところの「記憶」というものがあります。モノは記憶を呼び覚ます装置です。
ぼくはこれを「依代」と呼んでいます。「憑代」とも書きます。
ぼくの場合、この依代の筆頭となるものの一つをあげれば、たとえば〈靴〉ということになるかもしれません。
そもそも、靴は、ぼくにとってファッション以上の意味を持つモノです。日本が敗戦し、ぼくたちは平壌を脱出し、38度線を徒歩で越えました。夜の暗闇をひたすら歩き続け、開城近くの難民キャンプにたどりついたときには、わずかな人数になっていました。
途中で脱落した人たちの多くは、ちゃんとした靴を履いていなかったのです。靴が命を支えました。そんな少年時代の記憶が、靴そのものに宿っています。
初めて上京したのは1952年のことでしたが、僕は旧軍隊の軍靴を履いていました。ブカブカでしたが、それでも革靴だというプライドがあり、しばらく履き続けていました。
もちろんその頃、すでに意識していたわけではありませんが、〈捨てない生きかた〉ということの原風景が当時の記憶にあるように思います。
自分で初めて靴を買ったのは1950年代が終わろうとするころです。エルヴィス・プレスリーがカバーした「ブルー・スエード・シューズ」(※)が流行っていました。タイトルそのままの青いスエードの靴を買いました。
ところが、あまりにも派手すぎて、履いて出かける機会がないまま半世紀以上が経ち、ブルー・スエード・シューズは今も部屋の片隅に鎮座したままです。
でも時折、地中海ブルーと呼ばれたきれいな青色だったはずの、今はほとんど黒色と化したその靴を見ると、20代の日々が鮮やかに蘇ってくるのです。
パンタロンの全盛時代には、かかとの高いロンドン・ブーツを買ったこともあります。これもまた、一度も履く機会のないまま、壁際にホコリをかぶって転がっています。
その靴を買ったのは1968年の6月のことでしたが、一目見るだけで、年月とともに当時の様子までが鮮やかに蘇ります。