地元住民との軋轢が取りざたされる埼玉県川口市のクルド人問題など、日本でも何かと議論を巻き起こすようになった移民問題。日本は今後どれくらい移民・難民を受け入れるべきか。移民大国スウェーデンの実態に、そのヒントが隠されているかもしれません。博覧強記の郵便学者・内藤陽介氏がスウェーデンの移民問題について解説します。

※本記事は、内藤陽介:著『今日も世界は迷走中 -国際問題のまともな読み方-』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。

移民「輸出国」から「輸入国」になったスウェーデン

日本人からすると、スウェーデンをはじめとする北欧諸国は、世界各国から移民を大量に受け入れているイメージがあるかもしれません。しかし歴史的に見ると、それは20世紀以降の話です。

北欧は寒いので、それほど農業ができる地域ではありません。そのため、北欧からアメリカやオーストラリアなどへ移民として出て行く人のほうがたくさんいました。つまり、もともとスウェーデンは「移民の受け入れ国」ではなく「移民の出発国」だったわけです。1850~1930年代にかけて、アメリカやオーストラリアなどへ約150万人がスウェーデンから移民として出ていっています。

▲地図:kurkalukas / PIXTA

ところが、1930年代後半から、スウェーデンの人口動態は移出超過から移入超過に転じました。その大きな要因となったのが、ソ連とドイツの独裁政権です。

当時スウェーデンに入ってきた人々のなかには、北米などからの「出戻り組」もいましたが、ロシア革命やスターリンの大粛清を逃れたロシア難民、ナチスの迫害から逃げてきたユダヤ人や反ナチスのレジスタンス、ソ連に併合されたバルト三国の人々など「難民」としての性格が色濃い人たちが多く含まれていました。

1940年代前半だけで、じつに20万人以上の人々がスウェーデンに流入しています。さらに、第二次世界大戦後に東欧諸国が共産化されると、共産主義体制を嫌って多くの人々がスウェーデンに逃れてくるようになりました。

ようするに、まわりがトンデモない国ばっかりだったので、そこから逃れたい人たちが次々にやってきた結果、スウェーデンは移民を受け入れる側の国になったというわけです。

ちなみに、20万人という数字は、私たち日本人からすると、いまひとつイメージが湧きにくいかもしれませんがものすごい規模です。

スウェーデンは現在でも人口が約1000万人程度の国です。1940年当時は630万人ほどだったので、20万人は人口の約3%にあたります。単純に数字だけで今の日本に置き換えると、300万人以上の移民が一気に日本に流入するくらいのインパクトです。

▲スウェーデンの人口推移 『今日も世界は迷走中』(小社刊)より 

一方、スウェーデン側にも積極的に移民を受け入れたい事情がありました。

というのも、スウェーデンは第二次世界大戦で経済的にはほとんど無傷だったため、戦後には、荒廃した大陸諸国に復興のための資材を提供することで、急激に経済成長を遂げていました。しかし、前述の通り、もともと人口の少ない国なので、経済的に成長すればするほど国内の労働力は不足してしまいます。そのため、スウェーデン側も移民労働者を積極的に受け入れる必要があったわけです。

1947年には、共産国化したハンガリー、敗戦国のイタリア、オーストリアとのあいだで二国間協定に基づく移民労働者の受け入れを開始します。

また、1950年代に入ると、外国人法に北欧市民特別条項を設け、フィンランドやノルウェーなど北欧諸国の市民に自国の労働市場を開放しました。

さらに、1960年代に入ると、トルコや南欧諸国から事実上ほぼフリーハンドで政府や大企業が移民労働者を受け入れ続け、1951~1966年にスウェーデンに移住した移民は約46万人にも拡大します。

1966年のスウェーデンの人口は約780万人なので、46万人は総人口の約6%ですから、この時点でスウェーデンはかなりの移民国家になっています。