2023年4月、フィンランドのサウリ・ニーニスト大統領は、31番目の加盟国として正式にNATO入りを表明した。ウクライナ侵攻によって中立国フィンランドのNATO加盟という墓穴を掘ってしまったロシア。そもそも、なぜフィンランドはこれまで中立政策をとってきたのか? 博覧強記の郵便学者・内藤陽介氏が詳しく解説します。

※本記事は、内藤陽介:著『今日も世界は迷走中 -国際問題のまともな読み方-』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。

フィンランドが「中立」を貫いてきた事情

フィンランドは、これまで長年にわたって中立政策をとってきましたが、ロシアのウクライナ侵攻を受けて外交方針を転換し、2022年5月にNATO加盟を申請。翌2023年4月に正式にNATOに加盟しました。このことは大きなニュースとして日本でも注目を集めましたが、そもそも、なぜフィンランドはこれまで中立政策をとってきた(NATOに入ろうとしなかった)のでしょうか。

それを理解するために、まずはフィンランドという国の成り立ちについて知る必要があります。

もともと、フィンランドの地は、1796~1815年のナポレオン戦争後から、1917年のロシア革命にいたるまで、ロシアの支配下にありました(それ以前にはスウェーデンに支配されていた時代もあります)。そして、ロシア革命でロシア帝国が崩壊したことを受けて、1917年12月6日、フィンランド議会は独立を宣言します。

発足後間もないボリシェヴィキ政権(ソビエト・ロシア。のちのソ連。1922年にソ連成立)は、いわゆる「民族自決」の方針からフィンランドの独立を認めたものの、独立後のフィンランドは食料不足や失業の蔓延など、不安定な情勢が続いていました。

そのため、1918年1月12日、議会は強い権限を持つ警察を組織することを決議し、同15日に元ロシア帝国軍将校カール・グスタフ・マンネルハイムを司令官とする「白衛軍」を組織します。このマンネルハイムは「フィンランド最大の英雄」と称されている人物です。

▲カール・グスタフ・マンネルハイム 写真:Wikimedia Commons

一方、レーニン率いるボリシェヴィキ政権は、独立を承認したばかりのフィンランドに、さっそく手を出し始めます。すなわち、ロシア革命の影響を受けたフィンランド国内の小作農や労働者ら反政府的な左翼勢力を支援し、国軍の「白衛軍」に対抗する形で「赤衛軍」を組織させたのです。

ここからフィンランド国内では、白衛軍と赤衛軍による内戦が始まります。

同年1月26日、赤衛軍は革命の声明を発すると、翌27日の深夜から28日未明にかけて白衛軍と戦闘を開始。当初はボリシェヴィキ政権の支援を受けた赤衛軍が、首都ヘルシンキを占領して戦いを有利に進めました。

そこで、マンネルハイムは「敵の敵は味方」理論で、ドイツに支援を求めます。

ドイツ軍が内戦に介入したことで戦況は逆転し、4月13日には、白衛軍がヘルシンキを奪還。翌5月5日、赤衛軍はロシアへ逃亡し、内戦は白衛軍の勝利に終わりました。ちなみに、この内戦をきっかけにフィンランドでは、白衛軍を中心とするドイツ式軍隊が組織されています。それが現在のフィンランド国防軍のルーツです。

▲フィンランド内戦終結後にヘルシンキで行われた勝利パレード(1918年5月16日)  写真:Wikimedia Commons

その後、ドイツが第一次世界大戦で負けると、フィンランドはスウェーデンやノルウェーとともに中立政策をとるようになります。ただ、過去に軍事面で支援を受けたドイツとの交流は続いていたため、国防軍はナチス・ドイツに対しても、それなりに親和的でした。

これに対してソ連は、ドイツがフィンランドを拠点にして自国を攻撃してくるのではないかと警戒を高めていきます。1939年春には、フィンランド湾北沿岸への基地貸与を要求するなど、フィンランドに高圧的な態度をとり続けたのです。

1939年8月24日、ドイツとソ連のあいだで独ソ不可侵条約が結ばれると、その付属秘密議定書で両国間の勢力圏の分割が行われ、フィンランドやバルト三国、東欧はソ連の勢力範囲とされました。これはドイツがフィンランドを見捨て、ソ連に「好きにしていいよ」と伝えたようなものです。

これを受けて、第二次世界大戦勃発直後の同年11月末、ソ連はフィンランドへの侵攻を開始します。世に言う「ソ連・フィンランド戦争」です。

ソ・フィン戦争は、第一次の「冬戦争」と第二次の「継続戦争」に分けられます。

冬戦争は、フィンランドがマンネルハイムをリーダーにして、ゲリラ戦術などを駆使しながら大国ソ連に対して粘り強く抵抗しました。しかし、ソ連との兵力差はいかんともしがたく、1940年3月13日に結ばれたモスクワ講和条約では、フィンランドにとって経済的にも重要な南東部カレリア地方などを、ソ連に割譲することになりました。

その後、フィンランドは、ソ連に対抗するため、かつて裏切られたナチス・ドイツと手を結ぶことを選択し、1941年6月の独ソ戦の開始とともに、ソ連に宣戦布告して継続戦争に突入していきます。これによりフィンランドも枢軸国の一員となりました。

しかし、肝心のドイツが劣勢になっていったため、ドイツと心中する気のないフィンランドは、1944年9月にソ連と休戦協定を結び、今度はドイツに対して宣戦布告。1945年4月には、国内のドイツ軍を完全撤退させました。

こうした経緯から、戦後のフィンランドは、ソ連(ロシア)に対して気を遣いながら外交をしていく必要に迫られました。その一方で、自国の共産主義化を防ぐためにも、ソ連に対する宥和的な中立政策をとらざるを得なくなったのです。