糸井重里に“見つけられて”プロになる

脱サラをして始めたというライター稼業。そもそもの始まりはどういうものだったのだろうか。

「プロ野球死亡遊戯のブログは2010年なんで、もう14年前。当時は30歳を過ぎた頃で、デザイナーをしていたんですが、もう自分はデザイナーとして伸びしろがないなと。でも、FAをするような実績もない、“俺をトレードに出してくれ!”みたいな心境だったんですけど、そんなことがあるはずもなく(笑)。書くことくらいは自分でもできるかな? と思ってブログを始めました。

やはり、当時の制作系の仕事はブラックなのが当たり前。そういう所で働きすぎて、精神的にも肉体的にもツラかったので、4社目は職場環境や金銭的なことではなく、あまり残業もない、納期も厳しくない、そういう職場を選んで転職しました。

その会社に行ったことで、時間に余裕ができて、20代ではほぼできなかったプロ野球観戦を楽しめるようになり、それがプロ野球死亡遊戯につながるので。20代の自分だったら、ブログを書く時間もとれなかったと思います」

それまで記者経験のない中溝が、プロ野球で一番の人気球団「読売巨人軍」をテーマにしようと思った理由。そこには、幼少期からずっと野球と巨人が好きだった、以外にもあるようだ。

「野球について書こうと思ったのは、きちんとした理由があったんです。当時はいわゆるスポーツライターと呼ばれるような仕事でも、野球というジャンルはみんな50歳を越えている方々ばかりだったので、ここに30代の自分が世代交代というアングル(筋書き)もできるな、と。

じつは、大学浪人中に雑誌企画の『Eメール文学賞大賞』というのに選ばれて賞金5万円をいただいたことがあって。18歳の5万円って大金じゃないですか。結局はデザイナーとして就職したんですけど、“普通の人よりは書けるんじゃないか”という甘い考えがあって(笑)」

こうしてブログ執筆からライター活動を始めたが、最初からうまくいったわけではない。

「『スポナビブログ』で書いていたんですが、日に5万PVとかになって読者が増えるにつれて、今のヤフコメの比にならないくらいコメントでの誹謗中傷がすごくて……それにまず心が折れかけたんですが、“これは仕事だ”と思うことで続けられてました。

でも、いかんせん、全くの素人がブログを書き続ける以外で“仕事にする方法”が見つからず、途中、ある会社に“専属ライターとして契約をしませんか?”と逆オファーしたんですけど、“この文体じゃ厳しいね”とか言われたりしていました。

そんな僕の転機は、プロ野球死亡遊戯が糸井重里さんの目に止まったこと。『野球で遊ぼう。』という東京ドームのイベントで、パンフレットにコラムを書いてみないか? とオファーをいただきました。プロになる、という最初のきっかけをくれたのは、確実に糸井さんや『ほぼ日』さんのおかげなんで、本当に感謝しています」

▲糸井重里さんに“見つけられて”プロになりました。

原辰徳不在の野球界を書けるだろうか…?

今年もプロ野球が開幕したが、毎年現地でも多く観戦する中溝の“2024年、注目すべき選手”に興味が湧いて聞いてみた。「ジャイアンツとそれ以外で一人ずつお願いします」という言葉を添えて。

「ジャイアンツでいうと、菅野智之投手でしょうね。最近はエースは戸郷投手だとか、ルーキーの西館投手がいいねって言われて、菅野投手の存在が無視されている。でも、ジャイアンツの優勝には、菅野投手の復活が必要不可欠なんです。

逆に言うと、このまま菅野投手が落ちていってしまったら、現役生活も長くはないだろうと。なので、個人的には菅野・坂本・丸、この世代がもうひと頑張りしないと、ジャイアンツはしんどいんじゃないかなとファンの目線で見ています。

ジャイアンツ以外に目を向けると、ホークスからライオンズに、山川穂高選手の人的補償で移籍した甲斐野 央(かいの・ひろし)投手に注目しています。やはり今年のオフ、山川選手とともに一番注目された選手じゃないかと思いますし、プロ野球ファンの多くが甲斐野投手の2024年に注目しているんじゃないでしょうか。小林繁投手のようにすごいハネ方をするかもしれませんよね」

では、これまでも多くの選手をテーマに執筆してきた中溝の、一番思い入れのあるプロ野球選手は誰なのだろうか。

「原辰徳前監督ですね。以前、『原辰徳に憧れて -ビッグベイビーズのタツノリ30年愛-​』という本を出したこともあるくらい。ですので、愛を込めてタツノリと呼ばせていただきますけど(笑)、タツノリの甥っ子である菅野投手は、まさに今年が自立の年。いわば、野球選手として親離れできるかどうかなんです。

僕自身、昨年の最終戦でのセレモニーを東京ドームで見て、長い同棲生活を解消したような、そんな感傷的な気持ちになって。現に、仕事場に戻って部屋を整理していたら、タツノリとの思い出の品(グッズ)がたくさん出てきました(笑)。

阿部新監督は同い年ということもあって、“同い年がジャイアンツの監督をするのか……”という感慨もあれば、僕自身、タツノリ不在のなかで書き続けられるんだろうか、という喪失感もあるんです。

前回、辞めたときは“どうせまた帰ってくるんでしょ”と思ってたんですけど、今回は本当に菅野投手も僕も、タツノリから親離れしないといけない。他球団から有望な選手を“巨人を強くするため”強奪するような、そんなタツノリ的な手法はもはや古いのかもしれないとすら思ってます」

プロ野球選手として、中溝に大きな影響を与えたのは原辰徳。それでは、ライターとしては誰の影響を受けているのだろうか。

「村上龍さんの文体には影響を受けていると思います。『走れ!タカハシ』という高橋慶彦選手を軸にした短編集もありますが、村上龍さんの言い回しや、句読点が少ないテキスト、『全ての球団は消耗品である』というタイトル……それこそ、ビートルズをコピーするロック少年のごとく、僕はブログ時代に村上龍さんの文体をコピーすることから始まってます。

自分の文章でいうと、当初の頃よりは表現が真面目になってると思うんです。それは表現の規制もあれば、時代の移り変わりもある。でも、そこを意識して書きすぎると、選手がどんどん神格化されていってしまう。だって、ベンチでスタンドを指さしながら“あの子、可愛いよね”とか言ってるはずですから(笑)。だから、野球選手も僕らと同じで、下世話な下ネタも話してると思うよ、というスタンスは崩したくないですね」


プロフィール
 
中溝 康隆(なかみぞ・やすたか)
1979(昭和54)年埼玉県生まれ。ライター。2010年開設のブログ「プロ野球死亡遊戯」が話題に。著書に『プロ野球死亡遊戯』『原辰徳に憧れて』『令和の巨人軍』『現役引退 プロ野球名選手「最後の1年」』『キヨハラに会いたくて 限りなく透明に近いライオンズブルー』など。X(旧Twitter):@shibouyuugi