9月29日に放送された関西テレビ『マルコポロリ!』(TVerでも配信中)の「井口&すがちゃんの魅力を再発見SP」や、Netflixの新感覚お笑いサバイバル番組『トークサバイバー! ラスト・オブ・ラフ』への出演で話題の、お笑いトリオ「ぱーてぃーちゃん」のツッコミ担当・すがちゃん最高No.1。

出演した番組すべてで結果を残しているすがちゃんだが、3歳で母親と死別し、破天荒な父親と個性的な家族のもとで幼少期を過ごした壮絶な過去が注目を集めている。ここでは、小学校低学年のときに起こった、一家離散のきっかけともいえるエピソードを紹介。

※本記事は、すがちゃん最高No.1:著『中1、一人暮らし、意外とバレない』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。

家族4人が順番に家から抜けていった

俺の本名は“真っ直ぐ”な“人”と書いて「直人」だ。

真っ直ぐな人間になれ。名前にふさわしい生き方をしろ。

名前に込められたそんな思いとは裏腹に、俺の人生は全く真っ直ぐではなかった。だって俺は中学生にして、否応無しに一人暮らしに追い込まれることになるのだから。

ただ、なぜそうなってしまうのかを語るには、もう少し親父や、俺を取り巻く他の家族がどんな人物だったのかを知っておいてもらったほうが、これからの話がわかりやすいと思う。

小学校低学年の頃、俺は家族5人で暮らしていた。母親は俺が3歳のときに亡くなってしまっていた。

だから家族は俺、親父、親父の姉さん、そして父方の祖父と祖母の5人。このなかの俺を除く4人が順番に1人ずつ家から抜けていくことになる。

まず“1抜けピ”したのは、親父だった。

タマではなく心からあふれていた親父の女好き

そもそも親父は、とにかく自信家で豪快で自分勝手だ。

デカくてゴツゴツしてる感じの男で、死ぬ間際まで、酒もタバコも女もやめなかった。

「酒もタバコも我慢したくねぇ」

という理由で、入院を拒み、それでもどうしようもなくなって入院し、入院したあともずっと看護師さんをナンパし続けた。

そんな親父が入院する前、最後に俺と行ったコンパで、親父が、

「俺が好きな女の子と2人きりになれるように、うまいことアシストしてくれ」と言うので、なんとかそうになれるように立ち回った。

後々知った話なのだが、そのとき親父はすでに癌で、タマにまで転移しており、手術で取り除いたあとだったらしい。

つまり親父は、生涯のラストコンパを“タマなし竿のみ”で臨んでいたのだ。

父の女好きは、タマではなく心からあふれていたのだ。