”小さなお願い“をすることってよくありますよね。

「そこの醤油とって」とか、「帰りにコンビニでタバコ買ってきてー」とか。

俺ももちろんお願いされた事は数え切れないほどある。お願いされる分には全く問題ない。むしろ人の願いを出来る限り叶えてあげたい。集めなくていいドラゴンボールって言われてるくらいだ。

もし、みんなの中で「ドラゴンボール」の比喩が消化不良を起こしてる人がいるなら、本題はここからだから、もう少し読んで欲しい。

問題は、俺から人にこの“小さなお願い“をすることはほぼないっていうことだ。

しないというより「出来ない」の方が正しいかもしれない。

例えば、楽屋で、自分がどう手を伸ばしても届かない位置にティッシュがある。

自分で取りに行くには席を立って、長方形のテーブルをぐるっと回ってティッシュを取ってまた自分の席に戻らないといけない。

ダベっているギャル2人に、「ごめん、ちょっとそこのティッシュ取って」と言えば済む話なんだけど、俺は黙って席を立つ。本音はめちゃくちゃめんどくさい。もうバカ。ダルすぎる。でも人にお願いができない性分なんだからしょうがない。

じゃあ、なぜ人にお願いができないのか?

理由は単純で、人に手間をかけさせたくないから。

だってティッシュを取ってもらうってことはギャルのメイク止めることになるし、 アイラインをひく集中力を切らしてしまうかもしれないし、 そんなの申し訳ないし、 なんかオレの美学として、そんなことすら人に頼らないといけない=カッコ悪いという方程式があるのだ。

ただギャルはオレと真逆で、小さなお願いを呼吸をするようにしてくる。めちゃくちゃ腹立つけど1回この話は置いておこう。

俺は、家庭の事情で、中学から一人暮らしをしていた。

人がいないんだから、物理的に何かを頼むことができなかったせいか、俺はずっとこのマインドで生きている。

直したいと思ってもなかなか直せるもんじゃない。なんなら年を取るごとに酷くなっている。

最近は飲食店に行って店が忙しそうだと店員さんに手間をかけたくなくて注文も躊躇うようになってしまった。

飲食店の中でも一番困るのはお寿司屋さんだ。

普通の飲食店は1回注文すれば後は店員さんにお願いすることはないが、お寿司屋さんは何度も注文しなければならない。それなのにオレは寿司がたまらなく好きだ。週に3回くらい行っちゃう。

最近はタッチパネルのところが増えたが、俺が好きな回転寿司のお店はタッチパネルがなく毎回注文を大将に言わなくてはいけない。だから大将があんまり注文が入ってない隙を見計らって注文するし、基本空いてる時にしか行かない。

ただ去年の大晦日に事件が起きた。美容室終わりにご機嫌で街を歩いていると、「そういえば今日なんも食ってないなぁ」と気付いた瞬間猛烈にお腹が空いてきた。

大晦日の日は18時を過ぎると大体のお店が閉店している。時刻は19時30分。こいつは参ったぜ……と思いながら、一か八かでいつものお寿司屋さんを調べると21時までやってるではないか! 2024年の食納めに寿司を食べられるなんて最高じゃないか! とすぐさま店舗に向かうと、店は激混みだった。ギリ、俺一人だから座れたくらいの混み具合だ。

もう寿司の注文が市場の競りのように飛び交い、大将も大忙しで寿司を握っている。これはお茶でも飲みながら手が空くタイミングを待とうと思った矢先だった。

……お茶の粉が無い。

嘘だろ? いつもお湯が出てくる隣にあるお茶の粉が入れ物ごと存在しないのだ。

このことは大将に言うべきなのか? いやお味噌汁とかを持ってくる女性の店員さんに言うべきなのか? ただその女性の店員さんはお会計やお皿の片付けに駆け回っている。今、「お茶の粉がない」なんてイレギュラーな注文を挟まれたらパニックだ。

俺は、我慢して「お湯を飲む」選択を取った。

大丈夫だ、お湯を飲みながら大将の手が空いた絶妙なタイミングで、適宜お寿司を注文すればいい。

大将はとんでもないスピードでお寿司を提供してくれる。

大晦日のこんな時間までお店をやってくれてることに感謝をしながら寿司を口に入れる。最高だ。そしてそれをお茶で流し込む。ん!? そうだ今日はお湯だ。

何度か寿司を口に入れてお湯で流し込む。なんだこれ? 嘘だろ? めちゃくちゃ物足りないじゃないか。オレは普段薄味が好きだけど、この粉のお茶は粉を多めに入れて濃いめでいただく。

なぜかというと寿司を食べ続けるとどうしても魚のちょっとした生臭さを感じる瞬間がくる。それを濃いめのお茶の苦味が全て洗ってくれる。何度でもお寿司と初めて出会ったわくわくとときめきの時に戻してくれるタイムマシンだ。

あのお茶の渋みと旨み。自分が日本人だと全身の細胞で再確認するあの瞬間。寿司の尻拭いはお茶にしかできない。普段当たり前にお茶を飲んでいたけど、こんなにもお寿司には大事な存在だったのか。

人間は愚かだ。失ってから気付く。

もはや俺はお寿司屋さんに温かいお茶を飲みに来ていたと言っても過言じゃない。

どうしてもお茶が欲しいんだけど、自分からは言えない。「言えないよ~、お茶がないなんて~」と俺の中の郷ひろみさんが、ラストソングを歌う。

葛藤しながら寿司を食べて、もうお腹もいっぱいだし帰ろうかなと思っていると、隣の席に新規客のおじさんが座った。そこでおじさんもお茶がない事に気付く。

そうだよな。このおじさんもお茶なしでお寿司を食べなくてはいけないのか。あんたもお茶の有り難みを骨の髄まで染みさせてくれよな、と同情をしながらお会計を貰うと、

「あっお茶の粉貰ってもいいかい?」

とおじさんは言い放った。

マジかよ! このおじさん、今オレのお会計の時間だぞ!? 店員さんがパニック起こしちまうだろ、大丈夫か? すると、

「はーい! 失礼しました」

と俺のすぐ後ろの棚からお茶の粉が入った入れ物をトンとおじさんの目の前に置いた。

おじさんは「はい、ありがとう」と湯呑みにお茶の粉を出して啜った。

俺は、呆然としながらお会計を済まして店を出た。

夜の寒さが体に突き刺さる。

家に帰り布団に包まりながらお寿司屋さんでの出来事を振り返る。

そのおじさんは温かいお茶とお寿司のマリアージュを楽しんだかも知らないけど、俺はお茶がどれほど大切な存在かを知れた。

うん。俺とおじさん、どちらがお寿司を楽しんだかと言ったら、結果はまぁ引き分けだな。

次回、反省第3回「面白人間、2択を外す」は、4月20日(日)更新予定です。お楽しみに!!

プロフィール
すがちゃん最高No.1
1991年(平成3年)8月21日生まれ。山形県山形市出身。お笑いトリオ「ぱーてぃーちゃん」のツッコミ担当。ギャル(信子と金子きょんちぃ)と、チャラ男(すがちゃん)のパリピ漫才が人気。著書に『中1、一人暮らし、意外とバレない』(ワニブックス刊)がある。