申し訳なさと焦りでどうにかなりそうだった
クランクイン。現場には独特の緊張感が漂っていた。スタッフもキャストも、それぞれの持ち場で静かに気合を高めている。けれど、私だけがその波に乗れず、不安で押しつぶされそうだった。いざカメラが回っても声がかすれ、撮影は何度も止まる。周りのスタッフは、私が失敗する度に優しく「大丈夫だよ」と声をかけ、のど飴や薬をくれた。ありがたいのに、その気遣いが自分の不甲斐なさを強調するようで、逆に胸が痛んだ。また撮り直し。何度も、何度も。申し訳なさと焦りで、どうにかなりそうだった。
移動中の車内でも、咳は止まらなかった。隣のメイクさんに嫌な思いをさせないよう、息を詰め、無理やり咳を飲み込もうとすると、余計に苦しくなって発作のように咳き込んでしまう。「本当に我慢しなくていいからね」メイクさんはそう言って、背中をさすりながらそっとティッシュを差し出してくれた。その優しさに、喉が熱くなる。どうして私は、いつも大事なときに限ってこんなことになってしまうんだろう。自分への怒りが抑えられなかった。
撮影が夜に入ると、時間はすでに大幅に押していた。緊迫した空気の中、その重圧に耐えきれなくなったのか、学生のメイクさんの1人が突然泣き出し、現場を離れてしまった。それほどまでに過酷な空間だった。これまでの無理が募り、喉の状態は既に限界だった。それでも、声が出るまで撮り直し続けた。この時はもう、とにかく必死で声を出し続けることが全てだった。
撮影が終わって新幹線に乗ってからも、人前で感情を爆発させるわけにはいかず涙を無理やり押し込み俯いてやり過ごした。家に着き、玄関のドアを閉めた瞬間、張りつめていたものが切れ、私は泣き崩れた。失敗も、迷惑をかけたことも、全部吐き出すように叫びたかった。けれど、喉はもう応えてくれない。嗚咽と共に、「ヒュー、ヒュー」という、細くか弱い音だけが部屋に虚しく響いた。
翌朝、熱が上がっていた。身体が鉛のように重くて、吐き気もした。あれだけ無理をしたのだから当然か。私はすぐにコンサートのリハーサルを休む連絡を入れた。この体調では休むしかないという事実に、どこかほっとしている自分もいた。今日はもう誰にも会いたくなかった。
「ねぇ、今日、撮影終わったらご飯行こうよ」
数日後、まだ身体の奥に不安を抱えたまま、また映画の撮影日がやってきた。どうか今日はもう誰にも迷惑をかけませんように。そんな祈りに近い気持ちで現場へ向かった。
現場に着くと、私のメイク台の上にメッセージカードが置いてあった。以前アロマをくれたメイクさんからだった。
「先日は、初日お疲れ様でした!体調不良の中よく最後まで乗り切ったね。きっと沢山の不安と戦いながら、ここにいると思います。私達、すぐ側で出来る限りのサポートするので、安心してネ。最終日まで、共にかけ抜けましょう!大丈夫、大丈夫!」
視界が滲みそうになり慌てて目を伏せた。どうしてこんな私にここまで気を遣ってくれるのだろうという戸惑いと、今の私の状況を全て察してくれている人がいるという大きな安堵感が胸を満たした。
撮影が開始するや否や、見たこともないほどの雷雨に見舞われ撮影は中断になった。運がもう私に向いてないんだな、なんて思いながら、雷の音が響く控室でぼーっと座っていた。
「ねぇ、今日、撮影終わったらご飯行こうよ」
声をかけてくれたのはあのメイクさんだった。私は病気になってから、体調で迷惑をかけるのが嫌で、人と食事に行くのを避けていた。仕事相手ならなおさら、普段なら即座に断る状況だった。しかし、その日は違った。心細さや誰にも言えなかった不安が積み重なり、そして何よりもお礼をきちんと伝えたいという気持ちが勝って、「…行きたいです」と答えた。
食事に向かうと、メイクさんのお子さんも一緒だった。3人でテーブルを囲み、ピザを頬張る。お子さんはスマホでYouTubeを見てずっと笑っており、その賑やかな今どきの光景に、張りつめていた緊張が少しずつ解けていくのを感じた。やがてお子さんが遊びに夢中になり、その場の空気がふっと落ち着いた頃、自然と心の奥にあるものを話していた。
私は、迷惑をかけていることへの申し訳なさを抱えながら、ずっと隠し続けてきた持病のことを打ち明けた。本当は言うつもりなどなかったのに、一人で抱え込むことがもう限界だったのかもしれない。気づけば言葉が溢れ出していた。
すると、メイクさんは一度黙ってから、「そっか。わたしも前に、同じように身体のことで長く悩んでたことがあったよ」と、大げさではない控えめな口調で教えてくれた。
「れいあちゃんを初めて見たとき、あ、この子、無理してるなって思ったんだよね。この子、絶対助けなきゃって直感で思ったんだ」
続けて、「私もきつい時はあのアロマを吸ってたんだよ」と明かしてくれた。その言葉に、胸の奥が熱くなった。彼女は、自分自身を支えてきた大切なものを、私に譲ってくれていたのだ。その深すぎる優しさが、痛いほど胸に沁みた。
食事を終えて店を出ると、夜風が涼しかった。胸の奥に詰まっていたものが消え、久しぶりに深く息が吸えた気がした。まだ何も終わっていない。けれど、この夜、私はもう一人ではないことを知った。
人は、誰かの優しさでまた歩き出すことができる。私もいつか、今のこの苦しみを誰かのための優しさに変えられる人になりたい。
次回のHKT48 梁瀬鈴雅「鈴の音」は、1月末更新予定です お楽しみに!!
ニックネーム れいあ
生年月日 2006年6月29日
血液型 B
出身地 神奈川県
身長 170cm
趣味・特技
音楽鑑賞・楽器演奏・楽譜、楽器集め・ゲーム・フィールドホッケー/約30種類の楽器を演奏できること・努力・常磐津
メッセージ
自分自身がHKT48の元気と明るさに救われた経験があるからこそ、私も誰かに元気を与えられる存在になりたいと強く思っています。私のパフォーマンスで誰かの心を動かすことができるよう、常に全力で、全身全霊で頑張ります。ぜひHKT48劇場に会いに来てください。絶対に後悔させません!
梁瀬 鈴雅 HKT48 公式プロフィール


梁瀬 鈴雅