タガメ醤油

くさい度数★★★

虫を原料にした魚醬(ぎょしょう)もある。正しくは虫醬というのかもしれない。タイ、カンボジア、ミャンマー、ベトナムを中心としたメコン川流域で主につくられているタガメ醬油もそのひとつである。

ベトナム メコン川 イメージ:PIXTA

原料のタガメはカメムシの一種で、水中に生息している昆虫である。見た目はゴキブリに角が生えたような形をしていて、大きなものは体長5〜6センチもある。

虫というと、葉っぱをかじっているイメージがあるが、タガメは肉食で、魚や小さなヘビ、カエルのほか、水棲鼠の稚児のような小型哺乳類を食べることもあるといわれている。昔は日本の全国の田んぼで普通にみられたが、いまは絶滅に瀕しているようだ。

一方、メコン川流域には、現在も大型のタガメが大量に生息している。一帯は稲作が盛んで水田が多く、また沼や池もたくさんあって、タガメにとってはエサが豊富で棲み心地のいい場所なのである。これらの地域の市場へ行くと、タガメが山盛りに積まれて売られている。

私がタガメ醬油を初めて目にしたのは、タイ北部の市場だった。生の巨大なタガメを 10 匹くらい詰め込んだ4合ビンの中に、ナン・プラーを注ぎ込んだものだった。こうすると、タガメから成分がじわじわ溶け出て、ナン・プラーとはまったく異なる風味の醬油ができあがる。

これがまた驚きのにおいなのである。なんと、ナン・プラーのにおいに混じってラ・フランス(洋ナシ)に似た甘い香りがするのである。これはタガメが異性にアピールしたり、仲間を識別するために放つフェロモンの一種のにおいで、外見からは想像もつかないロマンティックな甘くせつなく、耽美で妖しい香りなのだ。

私ははじめてこのタガメ醬油をペロリとひとなめしただけで、すぐにとりこになってしまった。世に聞く「魔性のにおい」とは、まさにこれではないだろうか。本当にラ・フランスのにおいなのである。

洋ナシ イメージ:PIXTA

実際にタガメ醬油のとりこになったのは私だけではない。タイから帰国したあと、漫画家の東海林さだおさんにタガメ醬油を1本プレゼントしたら、その芳香に感激して、一瞬でタガメ醬油の大ファンになったのだ。

そのくらいタガメ醬油の香りは、人を魅了する妖しさに満ち満ちている。本書の主題である「くさい」というカテゴリーからはやや外れるが、においに特徴がある食品として外せない逸品なので紹介させていただいた。

自らを“発酵仮面”と称し、世界中の魚醤(ぎょしょう)を食べつくしてきた小泉教授に、それぞれの「くささ」の度合いについて星の数で五段階評価してもらった。 発酵食品は宿命的に、くさいにおいを宿しているが、それこそが最大の個性であり魅力なのだ。

「くさい度数」について
★あまりくさくない。むしろ、かぐわしさが食欲をそそる。
★★くさい。濃厚で芳醇なにおい。
★★★強いくさみで、食欲増進か食欲減退か、人によって分かれる。
★★★★のけぞるほどくさい。咳き込み、涙する。
★★★★★失神するほどくさい。ときには命の危険も。

※本記事は、小泉武夫:著『くさい食べもの大全』(東京堂出版:刊)より、一部を抜粋編集したものです。