世界と日本のありとあらゆる奇食珍食を食べつくしてきた小泉武夫教授。自らを“発酵仮面”と称するほど、発酵食品の個性的な「におい」にも惹かれているが、近頃ではせっかくの「におい」を消す食品が増えてきていることに、憤りをも感じているという。大豆などの穀物を発酵させて作る醤油は、日本人にとって一番身近な液体調味料だが、ここでは更に強烈な個性をもつ「魚醤(ぎょしょう)」について語ってもらった。

※本記事は、小泉武夫:著『くさい食べもの大全』(東京堂出版:刊)より、一部を抜粋編集したものです。

昭和の街は、さまざまな「におい」がした

昨今の日本では、個性派とおぼしき人物を見かけることがめっきり少なくなった。昔は、真っ昼間から熱燗ぐびぐびやって、大根おろしにトンガラシかけて食っているようなおっちゃんが、 けっこういたものである。

若者だって、大声で猥歌(わいか)を唄い、エロ本を読み、ワイワイガヤガヤとやかましかった。みな、自分の個性をしっかりもっていたように思う。

昭和の街は、さまざまな「におい」がした イメージ:PIXTA

個性を生み出す大きな要素のひとつが、においだ。昭和の街はさまざまなにおいであふれていた。においで呼び覚まされる記憶もたくさんある。ところが、この頃の日本では、においはあまり歓迎されない。くさいにおいに至っては、神経質なまでに敬遠されている。食の場でもそれは 顕著である。

たとえば、若い人たちを中心に、においの少ない納豆が売れているという。自称“発酵仮面” の私としては憤りさえ覚える現象だ。

発酵食品の代表である納豆は、宿命的にくさいにおいを宿している。くさいにおいこそ、まさに納豆の最大の個性であり、魅力である。それをわざわざ消してしまって、においの少ないことをもてはやす社会はいかがなものだろう。納豆文化の消滅、 ひいては日本の食文化の消滅につながりかねないと、私は危惧している。

魚介類を塩に漬けて作る魔法のしずく

魚介類を大量の塩に漬けてしばらく置いておくと、発酵微生物が作用して猛烈にくさいドロドロの液体となる。見た目には腐った汁のようだが、これこそがうまい料理をつくるうえで欠かせない魔法のしずく、すなわち魚醬(ぎょしょう)である。

古来、世界各地で地域の特性を生かした魚醬がつくられ、それをベースに郷土料理が生み出されてきた。とくに日本を含む東アジアから東南アジアにかけての一帯では、食文化の担い手として、魚醬が重要な役割を果たしてきたのは周知のとおりである。

アジアの魚醬のルーツは、中国にあるといわれている。中国では昔から、魚介類をはじめ、鳥獣の肉、あるいは大豆を原料とした味噌の類を「醬(ジャン)」と総称してきた。

それが今日では大豆や麦、魚介などを塩とともに仕込んで発酵させたものが「醬」となり、これを搾って液体としたのが「醬油(ジャンユウ)」で、日本の大豆醬油もこれに含まれる。ちなみに、醬油の「油」は油脂のことではなく、とろりとした液体を意味する。小エビの醬は「蝦醬(シャージャン)」、魚の醬は「魚醬」というわけだ。

日本にも、かなり古い時代に中国から魚醬が伝わったと考えられている。現在、日本では大豆醬油が主流だが、いくつかの地域では郷土料理に魚醬文化が残っている。秋田県の「しょっつる」、香川県の「いかなご醬油」はその代表だ。魚醬をもつ地域には、それに合ったうまい鍋料理が必ずといっていいほど存在する。

日本では大豆醬油が主流 イメージ:PIXTA

最近はパスタやチャーハンの隠し味や、白菜漬けや和製キムチ、松前漬けなど伝統的な漬物の隠し味として魚醬が使われることも多い。

一方、西欧では、古代ローマの文献に「クリアメン」「ガルム」と呼ばれる魚醬が出てくる。これは酢と共に、文献上、世界最古級の調味料とされるが、現在はヨーロッパの一部や南米の一地域にその名残が2、3散見されるにすぎない。日本でも知られるアンチョビソースはその希少なひとつである。くささでいえばアジアのものが圧倒的に強烈だ。

「まいにち発酵」始めます!

明日から「まいにち発酵」と銘打って、くさいにおいを宿しているが、それが魅力でもある発酵食品を1日1つ紹介していきます。なお、それぞれの食品の「くささ」の度合いについては、小泉教授に星の数で五段階評価してもらったので、お楽しみに。

「くさい度数」について
★あまりくさくない。むしろ、かぐわしさが食欲をそそる。
★★くさい。濃厚で芳醇なにおい。
★★★強いくさみで、食欲増進か食欲減退か、人によって分かれる。
★★★★のけぞるほどくさい。咳き込み、涙する。
★★★★★失神するほどくさい。ときには命の危険も。