「財政出動」は経済学からみても合理的な選択

そうしたチェック機能は、本来マスコミが担うべきですが、新型コロナウイルス関連の話題に関しては、政治に対する不安以上に、メディアの報道姿勢に対する不安があります。

緊急経済対策が、ようやくまともな方向に軌道修正されたにもかかわらず、それを正しく認識することなく、見当違いな批判をするようなメディアが存在しているからです。

そのいい例が、朝日新聞の5月28日付の記事です。見出しには【「ごねれば出る、打ち出の小づち」膨張した補正予算】とあり、政府が補正予算で財政出動を拡大させていることを、否定的に報じていました。

主流派メディアや財政均衡論者(財政破綻論者)のエコノミストは「政府はおカネを使ってはいけない。むしろ増税したり、財政支出をどんどんカットしたりしなければ、財政再建はできない」という、財務省の主張をほぼそのまま支持しています。

「打ち出の小づち」というのは、彼らが以前から財政出動(とその財源となる国債の発行)に対して好んで使っていた表現です。ようするに、小づちを振るだけで大判小判がザックザク、じゃんじゃんおカネが出てくるという、いかにも日本人の道徳観に合わないイメージを、財政出動に対してすり込もうとしてきたわけです。

▲「財政出動」は経済学からみても合理的な選択 イメージ:PIXTA

 堅実・節約を美徳とする日本人からすると「打ち出の小づちで、楽してカネを手に入れるのか」と言われると、なんとなく“良くないこと”や“後ろめたいこと”をしているような気分になります。

しかし、必要なときに政府が国債を発行して財政出動を行うことは、経済学からみても合理的で正しい選択です。

おとぎ話ならともかく、現実の世界で、打ち出の小づちを振ればいくらでもおカネが出てくる、などということは絶対にありえません。大量の国債を安心して発行できるのも、これまで日本人が堅実におカネを貯めてきたからこそ可能なのであり、“無”から“有”を生じさせているわけではないのです。

経済は、おカネが回らないと成り立たちません。

我々の生活も、収入も、就職もすべて途絶えてしまいます。日本の経済を支えている中小企業もバタバタと倒産し、大量の失業者が生じてしまいます。社会にとってこれほど怖いことはありません。

だから、今回のコロナ・ショックのように、経済が委縮し、消費が止まり、収入が途絶え、企業が雇用を維持できないときに、政府が積極的におカネを使い、必要なところに必要な資金を直接流し込んでいくことは、経済の理屈からしても当然です。そうすることが社会的正義でもあります。

それなのに、肝心のメディアが財政出動を「打ち出の小づち」と表現するなど言語道断。国民の経済観を歪めることにもつながるので、百害あって一利なしです。

コロナ・ショックに限った話ではないのですが、政府が必要な時にケチってカネを出さなければ、国全体が大変な不況に陥ってしまいます。

そんなことは、世界では常識中の常識です。

財政出動を「打ち出の小づち」とみなす、幼稚な考え方こそ日本のメディアや有識者が、世界の常識からかけ離れているデタラメな部分だと言わざるを得ません。同じジャーナリズムに携わる者として本当に情けない限りです。

※本記事は、田村秀男:著『景気回復こそが国守り 脱中国、消費税減税で日本再興』(ワニブックス:刊)より一部を抜粋編集したものです。