ジョー・バイデン(1942年~)

カトリック教徒にとってホワイトハウスへの道は険しいものです。今まででカトリック教徒の大統領は、ジョン・F・ケネディただ1人でした。

イタリア系のジュリアーニやアイルランド系のケリー、妻がヒスパニックなので改宗したジェフ・ブッシュもダメでした。 バイデンが大統領になって2人目です。バイデン家はイングランド南部のサセックス地方がルーツで、フランスやアイルランドの血を引き、母親はアイルランド系です。

▲アメリカ合衆国大統領 ジョー・バイデン 出典:ウィキメディア・コモンズ

ペンシルバニア州のそこそこ裕福な家に生まれましたが、父親の仕事がうまくいかなかったので、デラウェア州に引っ越ししてそこで育ち、地元のデラウェア大学、のちにシラキューズ大学のロースクールで学びました。あまりレベルの高い大学ではありません。

フットボールチームの強化に貢献し、フルートをたしなみ、恋愛にも熱心でした。喘息だったことを理由に徴兵猶予となって、ベトナム戦争には参加しませんでした。

地元で弁護士となりましたが、翌年には郡議会議員、その3年後には連邦上院議員となって7期つとめました。当選したときはまだ30歳でした。しかし、当選直後に妻とナオミという娘を交通事故で失い、当選を辞退しようとしましたが慰留され、残された2人の子の育児のために、ワシントンD.C.に地元から電車通勤しました。

デラウェア州司法長官だった長男は2015年死去、次男はウクライナや中国との取引で攻撃されています。

上院議員としては、外交や司法分野で活躍し、2004年の大統領選挙に意欲を見せますが、断念。2008年には1月3日に撤退したものの、オバマから副大統領候補に指名されました。副大統領としては、前任のチェイニー副大統領のような実力者ぶりは発揮せず、副大統領が兼務している上院議長らしい役割に甘んじました。

考え方は穏健リベラルとして常識的ですが「核保有国になり得ないとする日本国憲法を、私たちが書いたことをトランプ氏は知らないのか」といった発言に象徴されるようにやや軽く、女性へのなれなれしい態度がしばしば問題視されることもあります。

現在の夫人のジル・トレイシー・ジェイコブスは、シチリアにルーツをもつイタリア系で本来の姓はジャコッポ。学生結婚しましたが離婚しています。モデルをしていたときにバイデンが好感を持ったので、弟が兄のために仲を取り持ったそうです。

夫が副大統領になったのちも学校の教師を続けました。政治的な発言はしませんが、夫が大統領を目指すことは強く支持しています。

※本記事は、八幡和郎:著『アメリカ大統領史100の真実と嘘』(扶桑社:刊)より一部を抜粋編集したものです。