信長は今でいうと「暴走族」のリーダー

尾張に帰って、信長さまに有利な条件で仕官しようとした藤吉郎は、信長さまが川並衆(木曽川流域の地侍。当時、こうした呼び方をされていたかは不明です)のところに出没し、身分を問わずに気の合う仲間と遊んでおられると聞きました。

信長さまが羽目を外して遊ぶことが好きなことは、よく知られた通りでございます。鷹狩りはもちろんですが、乗馬や水練、そして相撲などが大好きでございました。

少年時代のころは「大うつけ」と呼ばれ、派手な色の変わった服装で、栗や柿、瓜を食べながら、仲間と肩を組んだりして歩いておられたと聞いております。

近江八幡の日牟禮(ひむれ)八幡宮では、正月に新藁で編んだ3メートルほどの松明の上に、数メートルの青竹を立て、細長い赤紙や薬玉、巾着、扇などで美しく飾られた左義長(さぎちょう)を、化粧し女装した男たちが担いで繰り出す火祭りが行われておりますが、これは、安土城下で信長さまが参加して行われた催しを引き継いでいるのだそうでございます。

▲日牟禮八幡宮(滋賀) 出典:PIXTA

残念ながら、私たちが新婚生活を送った清洲の城下町は、名古屋に商家も寺社もすべて引越しさせられたので、遺跡もないのでございます。安土の町でも同じで、豊臣秀次が近江八幡に丸ごと移したので、安土のお祭りも一緒に引っ越して今に伝えられております。

信長さまは、今でいえば、暴走族のような感覚の遊びがお好きだったのでございます。そして、それは使い物になる家来を集める場でもございました。信長さまは、伝統的な家臣団に飽き足らず、前田利家さまのような土豪の次男以下のもの、滝川一益さまのような流れ者、そして、有能なら藤吉郎のような百姓上がりでも、自分の言う通りに動く若者を集めたのでございます。

▲自分の手足となって動く若者を集めていた信長さま イラスト:ウッケツハルコ