自らを「オカマ」だと公言する山口志穂氏が歴史をオカマ目線で切り取る! 日本でも多くの人に知られている、ジャンヌ・ダルクが火炙りされたのは男装したから? 日本を好意的に見ていたフランシスコ・ザビエルが唯一嫌悪感を覚えていたのが男色文化? オカマ視点で紐解く新たな歴史の事実!

ジャンヌ・ダルク処刑の原因は男装?

ヨーロッパの暗黒の中世においては、魔女狩りと称して、魔女認定されると火炙りという処刑が行われていました。火炙りと言えば、百年戦争における1431年のジャンヌ・ダルクの火炙りが有名ですが、なぜ火炙りが行われたのか? と言えば、たとえ亡くなっても、肉体が残れば復活することができると考えられていたからです。

▲ヘルマン・スティルケが1843年に描いた『火刑台のジャンヌ・ダルク』 出典:ウィキメディア・コモンズ

そんなジャンヌが火炙りにされた理由の1つに「男装したから」というものがありました。『旧約聖書』の「申命記」には、

「女は男の着物を着てはならない。また男は女の着物を着てはならない。あなたの神、主はそのような事をする者を忌みきらわれるからである」[日本聖書協会『口語訳 旧約聖書』]

とあります。つまり、当時のヨーロッパでは異性装は罪だったわけです。

▲1900年頃に描かれたジャンヌ・ダルク 出典:ウィキメディア・コモンズ

男色については、

「女と寝るように男と寝る者は、ふたりとも憎むべき事をしたので、必ず殺されなければならない」[「レビ記」]

とあり、性転換に関しては、

「すべて去勢した男子は主の会衆に加わってはならない」[「申命記」]

とありますから、明確に罪であるとしています。

そうしたことから、1726年にはフランスのパリで、肛門性交した男が男色の罪で火炙りに処されていますし、さらに、1599年にはフランスのドールにおいて、両性具有者、つまりは生まれた時から男性と女性の性器を持つ者までが、魔女認定されて、火炙りにされています[田中寛一『ミシェル・フーコーによる両性具有者の歴史』関西大学学術リポジトリ/2004年]。

さて、1492年のコロンブスによるアメリカ大陸到達によって、ローマ教皇は、世界を勝手に大西洋の西側はスペイン、東側はポルトガルの所有とするという、なんともはた迷惑な取り決めをします。1493年の教皇子午線、1494年のトルデシリャス条約です。

さらに、1529年には地球が丸いのなら、その反対側も、東西がどちらのものかのラインを決めようと、サラゴサ条約で反対側も分割されました。要するに、ローマ教皇が勝手に世界を二分割して、スペインとポルトガルに、そのラインの中での侵略をする権利を与えていたわけです。これをデマルカシオンと言います。

そんななかで、ヨーロッパではプロテスタントによる宗教改革でカトリックは劣勢となり、カトリックは勢力拡大をヨーロッパ以外に求めます。そのための世界征服の尖兵(せんぺい)として、イエズス会が結成されました。

そのイエズス会の初期メンバーの一人、フランシスコ・ザビエルが、1549年に薩摩(鹿児島県)に上陸します。表向きは「カトリックの布教」、そして、その裏には当然「日本侵略」という目的がありました。