ダイエット法として注目されている糖質制限。日本で糖質制限といえば、「ご飯(白米)を控えよう!」という話になりがちですが、白米はそんなに悪者でしょうか。江戸の庶民は、一日に5合も白米を食べていたのに太らなかったと言われています。白米を控えめにしか食べない私たち現代人が糖尿病を恐れ、1日に5合も白米を食べていた江戸っ子たちは糖尿病になっていない。江戸料理・文化研究家の車浮代氏が、その理由を探ります。

江戸っ子は一日5合も白米を食べていた!?

▲江戸っ子は一日5合も白米を食べていた!? イメージ:NOV / PIXTA

江戸の食というと、「粗食」のイメージを持つ人も多いでしょう。たしかに江戸っ子の食習慣は、一汁一菜が基本です。

一汁一菜とはご存じのとおり、主食のご飯と香の物(漬物)に加えて、汁物とおかずが一品ずつ。そこに野菜の副菜がつくこともありますが、現代人から見ると「ちょっと寂しいな」と感じるかもしれません。

一方、飽食の時代である現代、過食こそが健康食であり、「一汁一菜の粗食が健康によい」という意見もよく聞きます。

ですが、江戸料理を研究する私からいえば、江戸っ子の食事は、実に豊かなものでした。第一に、ご飯の量が違います。江戸っ子の米好きは相当なもので、当時の成人男性は一日に5合もの米を食べていたといわれています。これは武士や富裕層だけの話ではなく、庶民も含めてのことです。

江戸時代は、武士の俸給は米で支給される「石高制」。そのため、江戸の需要を満たす米が全国から運び込まれていました。米はまさに経済の基礎であり、貨幣に匹敵する価値の意ある食べ物でした。

幕府や各藩は、家臣たちに給料として俸禄米を与え、残ったぶんを米問屋に売って収入源にしていました。米問屋は町人たちに、その米を売りさばきます。米の値段は、その年の収穫量によって変動するといっても、江戸にはお金を稼げる仕事が豊富にありました。

「居候 三杯目には そっと出し」という有名な江戸川柳がありますが、庶民でもまじめに働けば「お天道様と米の飯はついて回る」という土地柄だったのです。しかも、江戸っ子が食べていたのは白米。玄米や雑穀米ではなく、正真正銘の銀シャリでした。

肥満や糖尿病の“犯人”は本当に白米?

現在のご飯1膳の値段をご存知でしょうか。

超高級なお米ではなく、一般的なスーパーで変えるお米の値段から割り出した場合、お茶碗にふつうによそって、1杯だいたい30円くらいです。1日3杯食べても100円弱。これほど安価な主食はなかなかありません。

ふっくらと炊いた真っ白なご飯を口にいれ、その甘味を噛みしめたとき、「あぁ、日本人に生まれてよかった」としみじみ感じます。

ところが今、白米の“地位”が著しく失墜しています。その理由は「白米は太る」というもの。「太りたくない」との理由で、食べることを控える人が増えました。

また、糖尿病の予防と改善に糖質制限を実践する人も多くなりました。糖質制限とは、簡単にいうと、お米や小麦粉、砂糖など糖質の多い食品を除けば、あとは何を食べてもいい、という食事療法。糖質制限では、白米が真っ先に否定されるために「白米は体によくない」というイメージが、いつしか根づいてしまったように感じます。

現在、糖尿病は「国民病」の一つとされ、国民の5~6人に1人が糖尿病あるいは、その予備軍とも推計されています。その一因として、白米などの糖質のとり過ぎがあると言われます。

しかし、一日に5合も白米を食べていた江戸の成人男性に、糖尿病はほぼなかったと見られています。

白米を控えめにしか食べない私たち現代人は、糖尿病を恐れ、1日に5合も白米を食べていた江戸っ子たちは糖尿病になっていない――。そう考えると、はたして白米そのものが糖尿病の原因か、と疑わしくなります。

それとも、江戸っ子と現代人では、体質がまるで違うのでしょうか。そうではないと思います。同じ日本人、たかだか200年程度で、人の遺伝子は変わりません。最大の違いといえば、やはり運動量、そして筋肉量です。

幕末、欧米からやってきた外国人は、江戸の男たちの体が、足は短いものの、まるで黄金時代のギリシャ彫刻のようだ、と驚いたといいます。江戸で働く町人の男たちは、厚い胸板とたくましい筋肉で、黒光りする肌という立派な体をしていました。

そんなたくましくて美しい体のエネルギー源が、1日5合もの白米にあったのです。

▲肥満や糖尿病の“犯人”は本当に白米? イメージ:pearlinheart / PIXTA

※本記事は、車浮代:著『江戸っ子の食養生』(ワニ・プラス:刊)より一部を抜粋編集したものです。