プロの世界で結果を残していた石川雅規との再会

僕がドラフト指名された前年の2001年に、自由獲得枠のドラフト1巡目指名でヤクルト入りをしていたのが、大学時代にともに戦った石川雅規さんだった。 

石川さんが大学2年、僕が1年の頃に、僕が作ったチャーハンをふるまって以来、石川さんは常に僕のはるか先を走り続けていた。

プロ1年目となる2002年には、新人ながら早くも年間を通じてローテーションを守り続けて12勝9敗、防御率3.33で新人王を獲得している。東都大学リーグ時代から、その実力は申し分なかったけれど、プロでもその存在感は光っていた。

大学時代に交流はあったものの、すでにプロの世界で結果を残している石川さんは、当時と同じような感覚でしゃべれるような間柄の人ではなかった。

僕からすれば、「もうずっと、ずっと先を行っている大先輩」という感覚だった。大学時代ですら、その距離は決して縮まることはなかったのに、僕が手術やリハビリを経て、ようやくプロ入りを決めた1年間で、その差はさらに大きく広がることとなった。

しかし、石川さんはプロ入り後も、大学時代と同様に気さくな人柄のままだった。

埼玉の戸田にある選手寮は、最上階の5階が一軍選手、4階が一軍と二軍を行ったり来たりする、いわば「一・五軍」の選手、そして3階は二軍選手が暮らしていた。

僕はなぜか5階の、石川さんの隣部屋を与えられることになった。

前年に肩の手術をしていたために二軍スタートとなっていた僕と、一軍のローテーションを守っている石川さんとは、生活のリズムが180度異なっていた。

この頃、5階の部屋だったのは早稲田大学時代に戦ったこともある鎌田祐哉さん、年下ではあるけれど、先にプロの世界に飛び込んでいた坂元弥太郎、キャッチャーの米野智人、2000年ドラフト1位の野口祥順ら、同世代の仲間たちばかりだった。それぞれの立場は違っていても、同世代ゆえの気楽さもあって、みんな和気あいあいと仲良くしていた。

一軍で活躍する石川さんたちが神宮球場での試合を終えて、寮に戻ってくるのは夜中の11時半くらいだった。

毎日、朝早くから練習している僕ら二軍選手は、すでに寝ている時間だ。しかし、一軍選手たちは、試合後の興奮がまだ冷めていないのだろう。夜中に寮の廊下でラジコンカーを走らせたり、パターゴルフを始めたり、いまだ学生のノリでにぎやかに遊んでいた。

内心では「眠いなぁ、明日も朝から練習なのになぁ……」と思いつつ、つい僕たち二軍選手も一緒になってワイワイガヤガヤとみんなで楽しく遊んだ。僕も早く一軍に上がって、彼らと同じ生活リズムで過ごしたい。そんな思いを抱いたものだった。

そもそもは「日大寮でチャーハンを作ってもらった」という不思議な出会いでしたけど(笑)、それから数年後にプロの世界に入ってからは、ともに寮生ということもあって話す機会がより増えました。寮では、隣の部屋だったと思います。タテの部屋はいつも整理整頓されていて、収納上手でした。確かに、ナイター終わりは眼が冴えているので数人でパターゴルフをしたり、タテの部屋に入ったりしました。ホント、ご迷惑をおかけしたと思います(笑)。[石川雅規/談]