6月に開催された第31回シェフィールド国際ドキュメンタリー映画祭で、BBC制作の広島・長崎ドキュメンタリー映画『Atomic People』がお披露目され、その後まもなく、天皇皇后両陛下が訪英された。

映画と御訪英に関連はなく、たまたま時期が重なっただけだが、期せずして日本に思いを馳せる初夏となったのがイギリス在住の筆者だ。

両陛下のニュースには癒される。バッキンガム宮殿まで馬車で行く様子が映しだされ、皇后陛下のマスク着用は馬アレルギーのためと解説も流れた。それでも微笑みを絶やすことなく馬車に揺られていく皇后陛下、また天皇陛下が英国王と和やかに歓談される映像などもあった。

保守党から労働党への政権交代となった総選挙、終わりが見えない海外紛争のニュースが続くイギリスでは、穏やかな両陛下の御様子は殺伐とした日常に差し挟まれた心和むニュースだった。

広島・長崎被爆者ドキュメンタリー映画

サウス・ヨークシャーにあるシェフィールドは、首都ロンドンから北上し、イングランド北寄りの中央部に位置する都市。そこで開催される「シェフィールド国際ドキュメンタリー映画祭」は、ドキュメンタリー映画祭としてはイギリス最大規模を誇り、世界のドキュメンタリー市場においても大きな影響力を持つ。

毎年、100を超えるドキュメンタリー映画が各国から集う。ワールドプレミアも数十開催され、今回、そのなかの1本にBBC制作の広島・長崎被爆者ドキュメンタリー映画『Atomic People』があった。

製作国に日本・イギリス・アメリカが名を連ねる本作は、原爆投下当時の映像、写真を交えた、広島と長崎の被爆者へのインタビューを主とするドキュメンタリーだ。

原爆投下の前、広島ではトルーマン大統領名義で避難勧告のビラがまかれたという。勧告をまともに受け止めず、ビラなど燃やしてしまったことを悔やむ声もあった。

それこそ、映画『オッペンハイマー』にも描かれている通り、アメリカの原爆実験成功から間もない頃だ。

現代の私たちからすれば、避難しないのはあり得ないが、偏った情報しか流されない当時の状況で、敵国アメリカのビラなど無視するのが一般的な感覚だったのかもしれない。そして、多くの人がいつもの日常を送っていた広島に、原爆が投下された。

各人が語る原爆投下直後の様子は生々しい。「俺の顔、どうなってる?」と聞いてきた友人の顔は、ロウソクのように溶け落ちていた。ホラーだ。

語られたなかにあった「地獄絵図」という表現を、少しも大げさに感じない。お寺にかけてある血の池や針の山が描かれた地獄絵など、牧歌的と思えるほどだ。爆心地付近では、人間が一瞬で蒸発し、あとには焼きついた影だけが残った。これほどパワフルな地獄の絵など見たことがない。

ホラーはそこで終わらない。

1945年夏。終戦となり、進駐軍が入ってきた当時、アメリカによる調査所も作られた。被爆者は、そこに呼ばれ調査された。調べられはするが、治療はなされず、調査結果さえ知らされなかったという。翌年も、そのまた翌年も呼ばれ、不審に思い、病院で診察を受けたら、ガンを患っていた被爆者もいた。

自分たちは「実験台」という扱いを敵国だったアメリカから受けた彼らは、同胞であるはずの日本人からも偏見にさらされ、差別された。

アメリカ占領時には、原爆の被害報道は止められた。占領が終了し、報道できるようになり、被爆者の健康被害は知られていった。だが、病気をうつされるなど間違った噂も流れ、偏見や差別も広がった。被曝はスティグマになった。

イギリスのお茶の間に届く被爆者の声

『オッペンハイマー』に対して、映画中に実際の原爆映像が使われていないことへの批判があったのは記憶に新しい。

個人的には、実際の映像を入れずとも、クリストファー・ノーラン監督が得意とする作りこんだ映像と音で、原爆の底知れぬパワーが不気味に表現されていたし、そもそもオッペンハイマーその人を描く映画で、自身の発明とそれが生み出す結果のあいだで苦しむ科学者のジレンマを伝えたことで良しと思う。

その是非はいったん置くとして、当時の記録を残し、広く知らせていくことの重要性に異議はない。1945年の原爆投下から来年で80年、当時を語る人々も、もう80代、90代の御高齢で、話を直接聞ける時間も残り少なくなっていくことを思えば、なおさらだ。

残し広める仕事の一端を担う『Atomic People』は、イギリスではBBCで2024年7月31日に放映、配信予定となっている。