ロシアによるウクライナ侵攻がとまらない。真実性が著しく疑われるニュースも日々飛び込んでくる。しかし、日本政治外交史の専門家である井上寿一氏いわく、こうした戦争の際のフェイクニュースは今に始まったことではないという。「停戦協定中ナリ」「東條は盛岡に隠れている」「五歳以下の子供をどこかへかくせ、敵が上陸してくると軍用犬の餌にするから」など……、第二次世界大戦当時もデマや流言飛語は数多くあった。敗戦直後の様子について井上氏が語る。

※本記事は、井上寿一:著『戦争と嘘 -満州事変から日本の敗戦まで-』(ワニブックスPLUS新書:刊)より一部を抜粋編集したものです。

敗戦を告げる玉音放送を信じない人々 

第二次世界大戦当時、敗戦を告げる玉音放送を信じない人々がいた。

長崎県では憲兵隊が隊員をトラックに分乗させて、市民に伝えていた。

「本日のラジオ放送はデマ放送なり敵の謀略に乗ぜられるな軍は益々軍備を堅めつつあり」

新潟県・柏崎市の病院の病床にあったある男性は、玉音放送を聞いても信じようとはしなかった。あるいは鹿児島県・奄美のある村では、二人の兵隊が郵便局長を詰問していた。

「きさまは国賊だ。とんでもないデマを飛ばした。生かしてはおけない。ラジオの放送は敵の謀略とわからぬか」

郵便局長は玉音放送で戦争が終わったことを周囲にもらした。そのほうが本当だった。

広島から中国大陸に派遣されていたある部隊は、「不穏と恐怖の流言飛語に疑心暗鬼」に陥っていた。それでも「降伏を不満とし、屈従せず同志を糾合(きゅうごう / 寄せ集めて)して祖国を再建せん」との勢いだった。

▲敗戦を告げる玉音放送を信じない人々 イメージ:Ziyuuichi Tomowo / PIXTA

玉音放送を謀略として信じない人々がいた背景には、8月15日前後の徹底抗戦を呼びかける軍の宣伝ビラの撒布(さっぷ)があった。

この日、東京・赤坂の青山四丁目付近で、陸軍将校の同乗するバイクのサイドカーからビラが撒布された。

そこには「国体護持」のために本日8月15日の早暁(そうぎょう / 夜明け頃)を期して蹶起(けっき)し、我ら将兵は全軍将兵ならびに国民各位に告げる旨、記されていた。

あるいは豊島区の要町付近では海軍の飛行機から「大日本帝国海軍航空隊」のビラが投下された。

「断乎(だんこ)として戦え〔……〕坐(ざ)して亡国を待つか戦って名誉を守るか」

陸軍の飛行機も17日と18日、東京の新宿駅上空からビラを撒布した。

「詔書は渙発(かんぱつ / 出された)せられた然(しか)し戦争は終結したのではない / 大日本陸軍」

作家の高見順は、敗戦時、神奈川県の鎌倉に住んでいた。

敗戦の翌日、高見は親類から東京の世田谷でも飛行機がビラを撒き、「特攻隊は降伏せぬから国民よ安心せよ」と記されていたと聞く。

翌17日には横須賀鎮守府(海軍の根拠地)や藤沢航空隊なども「あくまで降伏反対」で、不穏な空気が漂うなか、「親が降参しても子は降参しない」そのようなビラが撒かれている、あるいは東京の駅にも降伏反対のビラが貼ってあって、「はがした者は銃殺する」と書いてあった旨を知る。

戦争が終わっていないかのようなデマの数々

ビラは次々と撒布される。

この日(8月17日)、東京の三多摩地区で飛行機と自動車から撒かれたビラは、「日本に無条件降伏なし / 国民よ奮起せよ」と訴えている。あるいは東京の品川駅前の京浜デパート前で撒布されたビラにはつぎのように記されていた。

「敵は天皇陛下を戦争の責任として死刑にすると放送している これで降参が出来るか 起(た)て 起て 忠良なる臣民降伏絶対反対、絶対反対」

上野駅でも下士官数名が次のように記されていたビラを撒く。

「同胞に檄(げき)す!! / 降伏は絶対に真の平和に非(あら)ず / 独逸(ドイツ)の悲惨な現状を見よ〔……〕陸海軍蹶起(けっき)部隊」

玉音放送があったにもかかわらず、戦争は終わっていないかのようだった。

医大生の山田誠也が同じ大学の学生十数人と激論を交わしている。そのなかの1人が言った。

「軍は必ず起つ。必ず起つと航空隊はビラを撒きおるにあらずや(撒いているのではないか)。これに応じて吾らまた馳せ参ず。敵の上陸地点がすなわち戦場なり」

▲戦争が終わっていないかのようなデマの数々 写真:臼井正芳 / PIXTA

軍の宣伝ビラの効果は覿面(てきめん)だった。嘘のビラを信じる人がいた。

8月27日、山田のもとに叔父から手紙が届く。

「8月15日、突如として重大声明の発表あり〔……〕本日ただいまより報復の準備にとりかからねばならない」

山田は翌日の日記に「叔父のような人間は今全日本に充満している」と記している。

日本は8月15日を境に、復讐戦に立ち上がったかのようだった。