30代に入って食べられない時期に直面
映画に主演デビューから、上京して山田洋次監督の『男はつらいよ』シリーズ、そして緒形拳らがいる事務所に所属。順調すぎて言うことなしのキャリアに感じるが、現在、バイプレイヤーとして押しも押されもせぬ存在になっている光石にも、ここから「土壇場」の時期が待っていた。
「30歳に入ってから、役者だけでは食べられない時期があったんです。でも辞めたいとは思わなかった。なんの確約もなかったけれど、頭のどこかしらで“どうにかなるんじゃないか”って。かといって、アルバイトとかもしてなかった。やっぱり楽観主義なんです(笑)。仕事も全くのゼロってわけじゃなくて、時々ポンって入ってくる。だけど、出番が少ないものだから、ポツポツ、ポツポツ、って感じ」
当時、すでに結婚していたが、妻から「俳優以外の仕事をしてほしい」と言われたことはないそう。
「不思議なんですけど、一切言われませんでした。え? 才能を信じていた? いやいや、そんな美談じゃないと思いますよ(笑)。それに、家賃とか光熱費は払えていたので、なんとなく生活はできていたんです、だからなんとかなるかなって。あと、奥さんも働いてくれたりもしましたし……だから今も頭は上がりません(笑)。
ただ、いくら僕が楽観的だとはいっても、ポツポツの状況が1年も続いて来ると、さすがにそうも言ってられなくなって。慌ててもがいて、七転八倒しはじめたんです」
不遇の時期が続いた光石だが、2つの作品、監督との出会いによって風向きが変わっていった。
「『ピーター・グリーナウェイの枕草子』のオーディションがあって、とにかくこれに受からないと、と必死で受けました。よく覚えています、本当に必死でしたから」
『ピーター・グリーナウェイの枕草子』。清少納言の「枕草子」をベースにした1996年製作のイギリス、フランス、オランダ合作映画で、衣裳をワダ・エミが担当。スペインのシッチェス・カタロニア国際映画祭で、グランプリを受賞している。
「その作品に参加した同じ年に、青山真治監督の『Helpless』の撮影もありました。僕は主演の浅野忠信さんの兄貴という、とてもいい役をいただきました。のちのち聞いたところによると、青山監督のお兄さんが、僕のことを知っていてくださって“あの俳優さん、面白いよね”と言ってくれていたのもあって、起用したそうなんです。立て続けにそうした撮影があったのは幸運でした」
北九州の同郷でもある青山監督とは、『Helpless』のほかにもカンヌ国際映画祭、国際批評家連盟賞&エキュメニカル審査員賞受賞ほか今も高く評価される『EUREKA』に出演し、仕事をともにした。先日発表したエッセイ集『リバーサイドボーイズ』(三栄書房)には、2022年に惜しまれつつこの世を去った青山監督へ向けて、「青山真治さんを悼む」が収められている。
「その頃、映画界全体で新しい監督が撮り始めたな、という感覚がありました。岩井俊二監督(『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』『Love Letter』『スワロウテイル』)とか。岩井さんに出会ったのは『枕草子』の1年前なんですが、僕らの世代だと、監督ってものすごく上の人だったんです。
それが本当に近い人、なんなら青山さんも岩井さんも年下なんですけど、そういう方々が監督という立場で撮り始めた。“ああ、この人たちとずっと一緒に歩みを進めていけたらうれしいな”と感じましたね」
一方で思い返すと、土壇場の時期、先輩からの言葉や先輩の背中も大きな力となっていた。
「そういえば、俳優業がうまくいっていなかった時期、ある作品に緒形さんのバーターで出演させてもらったことがあったんです。そのときに楽屋へ遊びに行って、なんでもない話をしていたら、緒形さんがボソッと“光石。今、辛抱だぞ”とおっしゃったんです。“ああ、緒形さん、僕のことをよく見ていてくださっているんだな”と思ってうれしかったです。
それから、でんでんさんや小林薫さん、大杉漣さんもそうですけど、皆さん語らずとも、俳優としての生き様を見せてくださった。僕の周りには、“ああいうふうになりたいな”と思える背中を見せてくれる先輩ばかりで、本当に恵まれています」
考えるのはいいけど悩むのはよくない
俳優として歩み続け、今では自身も後輩が憧れる「背中」に知らずとなっている。数えきれないほど多くの作品に出続けている光石にとって、演技のアプローチの仕方には、何か理念のようなものはあるのだろうか。
「作品の邪魔にならないようにと思っています。悪目立ちするようなことはしたくない、常にそう思っていますね。でもそれって、俳優としての性と相反するところもあるんです」
特に幼少期から「おふざけが大好きだった」光石である。そもそもの気質は「目立ちたがり」のはず。
「そうなんです。だから、いまだにその気質とのせめぎ合いですが、常に念頭にあるのは悪目立ちしたくない、という考え。あとは、お芝居の世界の俗語で『うたう』という言葉があって、セリフをただ喋っている状態を言うんですけど、うたいあげるようなお芝居にならないように意識しています。やれる範疇でなるべく自然にやりたい。こういう質問にはあまり答えたことがなかったから新鮮です(笑)」
バイプレイヤーの印象が強い光石だが、当然、特に人気を博したドラマ『デザイナー 渋井直人の休日』など、主演作も多い。渋井はもともとオシャレな光石にぴったりのキャラクターだったが、自分のなかでの感覚と、人からの評価にズレを感じるときはあるのだろうか。
「基本はやりたいこと、求められることやできること、やりたいけどできないこと、自分にとってお芝居のお仕事って、この3つだと思っていて。この3つを結んだとき、綺麗な三角形になることはなかなかありません。でもお仕事って、そういうことなのかなとも思うし、このバランスが、いつかきれいに取れることがあればいいんですけど、なかなかまだないなと」
しばしば俳優業は「満足したら終わり」とも聞く。「なかなかまだ……」という言葉を聞けるほうが、これから先もきっと多くの光石出演作を、こちらとしては楽しんでいけるはずだ。ちなみに、30代で「土壇場」に直面した光石から、いま悩んでいる世の後輩たちにかける言葉はないか聞いてみた。
「考えるのはいいけど、悩むのはよくないかなと思います。いっぱい考えるのはいいけどね。だからポジティブに。なるようにしかならないから。九州の言葉で『死にゃせん、死にゃせん』って、よく言うんですけどね。何やったって、死にはしないんだからって。だからいっぱい考えて、最後にわからなくなったら、とりあえず前に進もうと。土壇場でもポジティブにね」