YouTubeチャンネル「川越シェフだよ。」を開設し、登録者数を順調に伸ばしている川越達也シェフに、メディアから姿を消していたこの8年と、チャンネル開設の経緯についてインタビューした。

YouTubeの歳の離れたバディ

私生活では3人の娘に恵まれている川越。あの炎上からメディアでの露出が減って、この8年間は家族との時間を大事にする生活にシフトしていた。

「娘にはよく“カルボナーラを作って”と言われるんですが、子どもの口に合わせて生クリームを多めにしたり、スパゲティではなく食べやすいペンネを使ったりと工夫をしますね。“昔は自分の料理はこうだ!”と思っていましたが、今はどうやったら子どもが食べてくれるかを考えています」

「でもそれが楽しくて」と笑う川越の顔はとても優しい。51歳になった川越は、新たにYouTubeに参入した。あっという間に登録者数が8万人を突破し、カリスマ復活を世間に印象づけた。

なぜ動画に参入したのか。川越が盟友と言ってはばからない、オステリアルッカの桝谷周一郎が動画チャンネルを開設し、人気を獲得していたことがひとつ。もう一つの大きなきっかけは、新たなパートナーの存在だった。

「今のバディに“一緒に動画をやりませんか”って声をかけられたんですよ」

川越がバディと呼ぶ相手は動画制作などを手掛ける会社を営む荒木だ。若干26歳で起業した荒木が、最初に声をかけたのが川越だった。

「今現在、有名な人だったら相手にしてもらえないと思って(笑)」と、川越本人の前悪びれもせずにそういう荒木は、川越のHPに載っていた連絡先に繰り返しメールを送り続けた。

▲親子ほど歳が離れているバディ・荒木との息もぴったり

「最近は家族優先で暮らしていたし、こういう人生も悪くないなと思っていたから、最初はYouTubeに興味を持てなかったんです。でも、“川越さんと仕事したい!”って何度も何度もアツい言葉をかけられたら心が動くじゃないですか。なにより、彼女は僕が独立したのと同じ26歳だというのも大きかったです」

川越には人生で忘れられない恩人がいる。目黒区鷹番で初めて開業するときに、保証人になってくれた社長だ。

「その方は、僕が資金調達をしていたときにアルバイトをしていた会社の社長でした」

社長は店を出したいと意気込む20代の若き日の川越を信用して、川越の借り入れの保証人になってくれた。何度も頭を下げる川越に対して、その人は川越の肩を叩いてこう言った。「いつか君が成功したときに、同じような場面があったら、その人をサポートしてあげて」と。

「これまでは必死に自分で自分を売ってきました。でも、この先は若い人に任せることにしたんです。老いては子に従えではないけど(笑)、そう決めたんです。だから、動画でもなんでもチャレンジしてやろうって」

『タノシメシ』を合言葉に始まったセカンドロード

これまでの川越の人生を豊かにしてきたのはライバルの存在だった。

「僕の人生の半分は桝谷周一郎でできていますからね」

川越と桝谷は20代の頃から切磋琢磨してきた。互いの存在が刺激になり、もっと上を目指そうと思えた。動画を始めるきっかけにもなった桝谷周一郎は、川越をこう評する。

「料理人として気が合うんでしょうね。彼は本当にクソ真面目で、それがちょいちょい見えちゃうのがイヤだけど(笑)」

▲25年の付き合いになる桝谷周一郎シェフ

桝谷が代官山に自分の店オステリアルッカを出した2年後、川越は学芸大学にティアラ・K・リストランテを出した。

「“雇われシェフもいいけどさ、早くこっちに上がって来いよ”って。桝谷シェフにそう言われたことに発奮したんです」

川越が桝谷から学んだのは、料理はもちろん、お客さまを楽しませることの大事さだ。

「彼は人と人を引き合わせることができるし、話も面白い。まさにエンターテイナー。客商売の鏡です」

▲当時を思い出し感極まることも

二つの豊かな才能は、これまで何度も小競り合いをしたという。その挙句、顔を合わせない時期が幾度もあった。だが、一緒に歳を重ねてきた今、川越自身も桝谷というライバルがいたからこそ、今の自分があるのだと改めて思う。

「ライバルはライバルだけど、兄弟に近い感覚かもしれません。僕は長男だけど、むこうは末っ子気質だから、イラっとすることもあるんだけど(笑)」

若き日から切磋琢磨を続けてきたライバルは枡谷周一郎のほか、吉岡英尋(日本料理「なすび亭」)、笠原将弘(日本料理「賛否両論」)がいる。

初めて会った日から20年以上の時間が流れた。最近では動画でコラボをすることも増えた。おだやかなライバル関係を維持しながら、コラボという形で一緒に仕事をできることには感慨深いものがあるという。

「僕のチャンネルのメインコンセプトは『タノシメシ』。料理って楽しいものだって知っていただけたらうれしいですよね。歳の離れたバディとしっかりと手を取り合って、まだまだ一年生ですが、皆さん必要とされるチャンネルを目指したいです」

ネットでは真意と少し違った形で発言が拡散され、苦い思いをしてきた川越。だから自身の思いや考えを発信できる動画では、心から安心して料理に集中することができる。ファンからのコメントがつくのも、新たな楽しみにもなっている。

これまでいろいろなことがあった。料理界の新星と呼ばれスター駆けのぼった。やがて転落し、裏方に回った。紆余曲折を経て動画配信を始めるに至った。ただ、どんなときでも川越と共にあったのは料理だった。

「いいことも悪いこともありましたけど、全ての結果は自己責任なんです。昔から“根っこでは人を笑顔にしたい”という気持ちから、さまざまなことに取り組んできましたが、僕はやっぱり料理が好きだし、料理を通して人を幸せにしたい。今回のチャレンジも、その情熱をもって一生懸命、取り組んでいきたいと思っています」

再出発に向け、ニコリとほほ笑む51歳。料理への思いを胸に走り続ける。


プロフィール
 
川越 達也(かわごえ・たつや)
1973年3月7日生まれ。宮崎県出身。27歳でオープンした「ティアラ・K・リストランテ」は、その後「TATSUYA KAWAGOE」に改名し代官山で移転すると予約の絶えない人気店に。現在は長野と東京の2拠点生活を送り、商品開発やコンサルティング業務に携わる。7月に始めたYouTube「川越シェフだよ。」では“タノシメシ”をキャッチフレーズに、楽しく、肩ひじ張らずに料理を楽しむ動画が人気を呼んでいる。