50歳を過ぎて始めたYouTube「桝谷のSimple is best」が話題の人気イタリアンシェフ・桝谷周一郎氏。そのきっかけは、数十年来の友人であり有名料理人である笠原将弘氏のアドバイスだった。

▲桝谷周一郎【WANI BOOKS-“NewsCrunch”-INTERVIEW】

目の上のたんこぶと思っていた川越達也との初対面

僕の人生を振り返ると、とにかく人に恵まれていたと思います。最初に入った店の先輩から、僕を大事にしてくれたオーナーたち、そして料理を教えてくれた先輩たち。

うちの親父からは「お前を嫌っている人がいたら、その人の懐に入れ」と常に言われていました。

「好きな人っていうのは、何があっても応援してくれる。なぜなら、お前のことが好きだから。お前を嫌う人がいたら、なんで自分のことが嫌いなのか、懐に入って接してみるといい。そして原因がわかったら、それは自分のためにもなるだろう。それでもだめだったら無理をしなくていい」って。

若い頃、大嫌いなヤツがいましたね。それが同じシェフの川越達也です。僕がまだAccaにいたとき、ときどき有名雑誌に出してもらう機会があったんですね。本当だったらそれだけで十分名誉なんですけど、僕がちょこんと載ってるだけなのに、彼は見開きでドーン。

カチンときてね。「なんだこいつ! キレイな顔して気持ち悪いな」って毒を吐いてました(笑)。

でも、料理はすごい繊細でキレイなんですよ。女性に受けそうなものを、上手に出しているなって。

そんなある日、スタッフが予約の電話をとりました。

「川越さま、本日のランチ、11時40分から2名様ですね」

“まさか、あの川越じゃあないよな”と思ったら、本当に本人が来たんです。店に入って来た途端、威嚇開始ですよ。こっちは目の上のたんこぶみたいなヤツが来たから鼻息荒いんだけど、それなのに「僭越ながら勉強しにきました」なんて腰の低いことを言うんです。

話しているうちに料理への情熱は本物だし、まあ飲みに行きましょうかって。そして、初めてゆっくり話してみたら、まあ聞けば聞くほど僕とそっくりなんです。

彼は阪神大震災で命からがら上京して、フランス料理店で働きたかったけど見つからなくて、レストランに併設されたカラオケボックスで働くことになった。でも、そこで腐らず、腕を生かして味も見た目もこだわった料理を提供して話題になり、そこから自分の腕一本でのし上がった。ハングリーなヤツでしょう。彼からは本当に大きな刺激をもらったんです。