『転の声』を音楽ライター2名が書評

「あまりに他人事、だからこそ帯びた普遍性」桂季永(ライター)

これはどんな人でも陥る可能性のある、普遍的で答えのない事象を扱った物語だと思う。読み進めてすぐ、どこか著者を彷彿とさせる主人公やエゴサーチに登場する声、ライヴハウスの客層など、これまで著者が見聞きしたもの全てをえぐり出したかのような解像度の高さ、時折、生々しい描写に圧倒された。

ただ、この作品を音楽というジャンルのなかだけで評するのは惜しい。最初は勢いで一気に読み切ってしまったが、何かが引っ掛かったまま拭えず、物語の設定に飲まれないよう、主人公・以内右手の自意識と、それを取り巻く空気だけに集中して2周目に入った。

そもそも、自意識というものは社会との相互作用により生まれることがほとんどで、非常に曖昧なものではあるが、自分のコントロール下にあるものとして扱うことで、他者とのコミュニケーションが成り立つように思う。

しかし、以内の自意識は物語の進行と共に客観性が増し、そこに自己肯定感の低さが掛け合わさることで、持ち主の元から遠ざかった不明瞭なものになっていった。最初に読んだときに感じた引っ掛かりは、そうやって見知らぬ幾人になぞられ、歪になった以内の輪郭に対する気持ちの悪さ。そこに無意識に恐怖心も抱いていた。

日頃、わざわざ「自分とは」なんて考えもしないけれど、気づかぬうちに自意識を何かに乗っ取られる――ただそこに存在していることさえ脅かされる恐れもあるのだということが、2020年代の今と重なる時代背景、現実ではタブーとされているものが好転していく過程、そして以内の自意識の変遷により、身近な危機として迫ってくる。

ラストに、以内が心中で何度も発した「馬鹿だ」という言葉に安堵したこと、それは本能的な反応だったと思う。不純物がなく主観の自意識として聴こえたその言葉は、人が人として生きるうえでの本質とも置き換えられるのだろうか。

とても曖昧で他者にとっては何の価値もない感覚。それがいかに愚かなものであっても、その執着こそ自分を自分たらしめるものなのかもしれない。

プロフィール
桂 季永(かつら・きえ)
平成6年生まれ。京都府出身。2018年5月〜2024年6月まで音楽雑誌MUSICA編集部に勤務。現在は音楽レーベルにてアーティストのサポートを行いながら、活動の場を開拓中。

「『この世で他の誰にも書けない』のは、こういう小説」兵庫慎司(ライター)

「以内さん」「以内君」「以内右手」と、自分の名前に付く敬称を変えたり、「GiCCHO 声」「GiCCHO 歌」と、バンド名のあとに続く言葉を変えたりしながら、検索しまくる。

歌おうとすると声が詰まって出なくなり、練習しても治療しても治らない、いわゆるジストニアに苦しんでいる。ツアーのチケットが発売になり、各地が「予定枚数終了」になったかを調べるとき、新潟を見るのが怖い。

フェスに出ると、メインステージではあるものの、七バンド中二番手という微妙な出順だった。そして、観客エリアの人がいる部分より人がいない部分にばかり目が行く。最前列に「地蔵」を発見する。「ディッキ族」の雑な暴れ方に苦しめられる――。

などなど、バンド界の周辺業者である自分が読んでも胃が痛くなるくらいなんだから、同業者のバンドマンたちはもう「苦しくて読めない」レベルではないだろうか、この生々しさは。言うまでもなく、すべて尾崎世界観の実体験である。と、断じていいと思う。

というように、現場でその世界を体験してきた(している)者にしか書けない、徹底したリアルさが、まずベーシックにある。

そのうえで、「チケットの転売がありになった世界」「転売額がバンドのステイタスを決める世界」「その頂点が『歌わないしチケットを買った客を入れないし客も足を運ばない無観客ライブ』である世界」という、「ありえるかもしれない」から始まって「いくらなんでも」まで飛躍していく物語を描く。

ただし、その「ありえるかも」から「いくらなんでも」までのあいだを精緻に描いていくことで、読み手に荒唐無稽だと感じさせない。

ミュージシャンだけではなく、周辺のスタッフなども含めて、バンド業界でこんな筆力を持った書き手は、尾崎世界観しかいない。日本の小説家のなかには、尾崎世界観と同等もしくはそれ以上の筆力を持つ人はいるだろうが、この小説のリアルさを担保するさまざまなことを、実体験から書ける人は、今、ひとりもいないだろう。

というわけで、本作は、この世で尾崎世界観にしか書けない小説である。『祐介』を読んで優れた小説家だと思ったし、その「優れ方」が新しい作品ごとに更新されていくことにも驚いたが、本作ではちょっともう、とんでもないところまで行ってしまった。

蛇足だろうが、あとひとつ。「メインステージではあるものの、七バンド中二番手という微妙な出順だった」経験のなかには、2016年頃のロック・イン・ジャパン・フェスティバルも入っていると思うが、今年2024年の同フェスに、クリープハイプは、初日のメインステージのトリで出演している。

プロフィール
兵庫 慎司(ひょうご・しんじ)
1968年広島生まれ東京在住、音楽などのライター。連載=DI:GA ONLINE『とにかく観たやつ全部書く』 ぴあ音楽『思い出話を始めたらおしまい』 雑誌KAMINOGE『プロレスとまったく関係なくはない話』

プロフィール
尾崎世界観
1984年、東京都生まれ。ロックバンド「クリープハイプ」のヴォーカル、ギター。2012年、アルバム『死ぬまで一生愛されてると思ってたよ』でメジャーデビュー。16年、初小説『祐介』(文藝春秋)を書き下ろしで刊行。20年、「母影」が第164回芥川龍之介賞の候補となる。その他の著書に『苦汁100%』、『苦汁200%』(文藝春秋)、『泣きたくなるほど嬉しい日々に』(KADOKAWA)などがある。24年7月に単行本が刊行された小説『転の声』(文藝春秋)は、第171回芥川龍之介賞の候補作に選出された。12月4日に3年ぶりとなるニューアルバム『こんなところに居たのかやっと見つけたよ』をリリース。