クリープハイプのボーカル・ギター、尾崎世界観の3年半ぶりとなる小説『転の声』(文藝春秋)。自身と同じミュージシャンを主人公に据えた作品は、第171回芥川賞の候補にノミネートされた。

惜しくも受賞を逃したが、改めて同作に込めた思いと、今後も執筆を続けていくのかをニュースクランチ編集部が聞いた。

唯一感じた“この人なんか苦手だな”

『転の声』の構想は、こちらも芥川賞候補となった前作『母影』(新潮社)の選考会終わり、2021年の1月ごろから始まっていたという。

「『母影』で初めて芥川賞の候補になって、その時の選考会が終わった直後くらいから考え始めました。以前から転売という事象に興味があり、転売に関係する人物を主人公に据えてみるのはどうかな、と思ったのが最初です。転売する側、いわゆる転売ヤーを主人公にする形も考えたのですが、最終的には自分と近しい存在である、ミュージシャンを主人公に据える形にしました」

ミュージシャン自身が転売によるチケット価格の高騰を望み、その行為や転売ヤーが神格化された世界を描いた『転の声』。我々が生きる環境とは、似て非なる世界を舞台とした作品の世界観を、尾崎はどのように作り上げていったのか。

「仕組みを作るのは大変でした。自分はこれまで、小説を執筆するときに、プロット(物語・小説・戯曲・映画などの筋立て​)を作ったことがなかったんです。自分自身、これまで出会った編集者の方々には恵まれてきたと思っていて、皆さんの意見を参考に、ブラッシュアップしながら執筆しているのですが、過去に唯一、“この人、なんか苦手だな”と感じる編集者がいたんです。その人が言っていたのは「プロットは絶対に書いたほうがいい」「体言止めだけは絶対に使ってはいけない」。この2つでした。

その人と出会ったのは『祐介』(文藝春秋)を書いている時期で、その頃、まだ何も知らないから藁にもすがる思いでいろんな人に話を聞いていたんです。その編集者は「自分に任せたら、メディアミックスも仕掛けられるし、本もたくさん売ることができる」と景気の良い話ばかりしていました。でも、“この人の言うことは自分には合わないな”とすぐにわかりました。

だから自分はプロットを書かないし、エッセイなどでも体言止めをよく使っています。その編集者の言う“絶対”に逆らうように(笑)。その後、その人に会うこともないし、名前すら聞かない。今となっては“本当に、あいつはなんだったんだ!”と思います。

でも、逆張りだと言われればそれまでなんですが、そういう人に会うのも大事だと思っています。いつも自分が違和感を持った人や事象に対して、“そうならないためにどうするか”を考えるので、そういう人たちのおかげで自分のスタイルができあがっていったのかもしれません」

プロットは書かないという尾崎。では、どの段階で編集者に見せたのだろう。

「『転の声』は、最初に担当していただいていた編集者の方が、途中で別の部署に異動になってしまったんです。その方には、まず4割か5割ほど書き上げた段階で一度読んでもらって、感想を聞きました。

逆の立場だったらその段階で良いか悪いかなんて判断しにくいから、内心では“申し訳ないな”と思いながら、それでも読んでもらったのは、この方向で合っているか不安だったのもあるし、とにかく書くためのモチベーションが欲しかったんです。そこで“おもしろい”と言っていただけたので、さらに書き進めていきました」

苦労も発見も多かった『転の声』の執筆

尾崎は執筆時に感じた意外な困惑を明かす。

「X(旧Twitter)の仕様変更についてです。TwitterからXに名称変更するタイミングで、もしかするとX(旧Twitter)が完全有料化になるかも? などの噂があったので、そこが変われば、世の中のSNSの使い方ごと変わってしまうかもしれないと思ったんです。『転の声』はそこが肝だったので、やきもきしながら状況を見守っていました。予想より早く今の仕様に落ち着いたので、これであれば大丈夫だと安心しましたね」

『転の声』を書いていて、改めて気づいたこともあったという。

「作中の転売システムを考えるのに、すごく時間がかかりました。実際はどうなっているのかを知らないまま書き進めていったので、この方向で本当に合っているか確証はないし、読者がそこまで付いてきてくれるかの確信もなくて。ただ、これはずっと言っていることなんですけど、自分は正解があるもの、決まっているものに興味が湧きにくいんです。

クイズに興味が湧かないのもそう。出題者側が新しい価値観や知識を得ることはないだろうし、回答者も“当たってうれしいな”とか“このクイズ難しいな”くらいにしか思えないんじゃないかと感じてしまうんです。自分は予期せぬところに答えがあったり、自然と感情が動く瞬間を大事にしていて、その場にいる全員が、等しく発見する可能性のある場が好きなんです。

人間関係も、後輩におだてられたり、話を一方的に聞いてもらう、そんな10対0の関係が苦手。常に自分がなにか刺激を得られるような状態が理想です。それは小説を執筆するときも同じで、ミステリーのように、作者が作った仕掛けを提示して読者を楽しませるのもひとつの形として素晴らしいと思いますが、“これで合っているかな?”と、心許なさを抱えながら書くことにこそ魅力を感じます」

以前、尾崎はスマホとポメラ(ワープロ専用機からプリンターを廃したコンパクトデジタルメモ)を執筆に使っていると言っていたが、今作の執筆環境はいかなるものだったのか。

「ネットに没入していく様子を書きたかったので、執筆はスマホで進めていたんですが、狭い世界なので精神的にもすり減っていくし、しんどかったですね。6割~7割くらいまではスマホで頑張って、一度、担当の方に見ていただいたときに“ここまで書けていたら予定より早めの号に載せられそうです”と言っていただいたので、そこからさらに気合を入れて、ポメラで書き進めました。

『母影』のときは、まず原稿用紙20枚くらいをスマホで書いて、それをポメラで打ち直すときに、気になる部分を直しながら執筆していました。この執筆スタイルは、自分のなかで完璧な状態まで“作品を研いでいる感覚”なんです。

でも今回は、まず時間がなかったし、自分でもわからない世界だし……『母影』の少女の気持ちも完全に分かるか、と言われるとそうではないんですが、あれは自分が幼少期に感じたことをもとにしている分、自分の中に判断基準があったんです。その分、自分に近い主人公でもあるし、作中のルールを自分が作れるとしても、架空の世界を舞台にしている今回の『転の声』のほうが難しかった。

だから、推敲をして磨き上げても『母影』のような削ぎ落とした文章にはならないとわかっていました。文体も『母影』から意図的に変えていて。例えるなら、TVゲームのオープニングのような、読みやすいけれど、そこまで心にしつこく残らないものを心がけました。そうすることで、逆に登場人物のセリフだったり、起きた出来事が浮き上がると思ったんです。

『母影』を書いているときは、1文字たりとも漏らしたくなかった。そもそも、歌詞を書くときは、書けるスペースが決まっている分、1文字も漏らしたくない。

だからあえて心に残らない、読みやすい文を書こうと心がけたのは、今回が初めてでした。それも含め『転の声』の執筆は、新たな試みが多かったので大変でしたが、発見も多かった。

これまで、歌詞を小説の長さに頑張って伸ばして書いているという感覚がずっとあったんです。やっぱり、小説の文体では書けていないな、というモヤモヤした気持ちがあった。今回、初めて小説らしい文体で書けた気がします。そして、次はまたその小説らしさを自分なりに壊していきたいです」