選考委員の言葉を見て感じたこと

尾崎は『転の声』について「作品に振り回された」と独特の表現で振り返る。

「『母影』のとき、選考委員の方々の選評を読んで、“文体のことにあまり言及されていないな”という心残りがあったし、作者の読んでほしいところが必ずしも読まれるわけではないというのも改めて痛感したんです。自分の小説は独りよがりだったのかもなって。

でも、逆に言うと“読者にどう読まれるか”というところに、自分の作品の可能性がまだあるとわかったので、楽しんで読んでもらえる作品を初めて意識しました。これまでは自分が作品を振り回している感覚だったんですが、『転の声』は、テーマもストーリーも今まで以上に広げて書いたので、逆に自分が作品に散々振り回されましたが、結果としてとてもよかったです」

発売から数か月以上経った今、改めて読者の反応について、尾崎はどう受け止めたのだろうか。

「どこまでいっても、ミュージシャンとしての自分から離れられないんだな、というのを痛感しました。感想も基本的には、クリープハイプの尾崎世界観が書いた小説、という前提のものが多くて、それには少し思うところがあるんです。でも、『祐介』のときに届かなかったところに『母影』で届いて、『母影』で届かなかったところに『転の声』で届いたという実感もあります」

小説も音楽も、評論が存在する。近年では、音楽・小説・映画と、表現には考察や評論ががつきものだ。『転の声』も作品の説明文にエゴサ文学という言葉がついていたが、尾崎自身は評論についてどう感じているのだろうか。

「『転の声』の書評や感想を読んでいると、“なるほど、そういう受け取り方もあるのか”と、様々な意見に出会える。でも、音楽にはそれがほぼないんです。共感してもらうことに対しての喜びはあるけれど、新しい発見はあまりない。

自分も書く側なのでわかるんですが、書評は“これで合っているかな?”と思いながら書くので、怖いんです。それでも『転の声』を書評しようと思ってもらえたのがうれしかった。

音楽に関していうと、自分が作った曲について、“ここのコードが……”とか“この転調が……”と批評されることには興味がなくて。小説と違って、それらの言葉で音楽を評されたときに、遅く感じてしまうんです。音の速さに言葉が追いついてこない。それなら、“この曲をこういう状況で聴いた”などの、リスナーのごく個人的な感想のほうが断然ありがたいです」

受賞できなかった悔しさは音楽活動では得難い感覚

個人的に、クリープハイプや尾崎世界観は、賞や名誉に興味がないと感じていた。だから、『母影』を芥川賞を目標に執筆した、ということを聞いて驚いた記憶がある。改めて、芥川賞を狙う、という意図について聞いてみた。

「芥川賞に“ノミネートされる”というのが、まず最低限の目標でした。もちろんバンドの活動をメインでやっていますが、執筆にもかなり時間を割いているので、結果を残さないとメンバーやスタッフに申し訳ないというのと、今年の年末にアルバムを出すと決めていたので、そこに向けて良い流れを作っていきたかった。

クリープハイプは本当にタイアップが取れないバンドなので……ここは太字にしてください(笑)。自分の声とか、これまで書いてきた曲のイメージもあると思うんですけど……。だから自分でやっていくしかないんですよね」

コロナ禍に執筆され、発表された『母影』。『転の声』もそこを経て、特別な思いがあったという。

「コロナ禍で配信の無料ライブをやったり、あの時どのバンドも積極的に動いていたけれど、クリープハイプはそれをしなかったんです。その代わり、自分が『母影』という小説を書くことで、どうにかバンドの周知につなげたかった。だから実際に芥川賞の候補になってホッとしました」

改めて、『転の声』で印象に残っているシーンについて聞いた。

「新幹線で大阪に行くシーンは、エスカレーターで“わざわざ逆側に立つことで現在地がわかる”という描写を、この前、知人が褒めてくれました。あと、人が落としたスマホを一緒になって探しながら、思わず自分のポケットに手を当てて、その存在を確認するという描写も良いと言ってもらえてうれしかったです」

小説の執筆には編集者の存在が欠かせない。尾崎にとって“できる編集者”とはどういう編集者なのだろうか。

「冒頭にイヤな編集者の話をしてしまいましたが(笑)、それぞれタイプは違えど、やっぱり編集者の方をとても信頼しています。それは小説の読み手としても信頼しているということ。自分が、読み手としての自分も大事にしているように“他の人の本は読まないんですよね”という人の書く本をあまり読みたいとは思わないし、ミュージシャンでも、他の人の曲を聞かない人にはそんなに魅力を感じません。

それと一緒で、文芸誌を毎月くまなく読んで“尾崎さん、あの作品は面白かったですよ”と伝えてくれたり、逆に自分が“あの作品、読みました?”と聞いたら、すでに読んだうえで感想を教えてくれる、そういった編集者の方に会うと嬉しくなりますね」

惜しくも落選したあと、軽々しく「また次、頑張りましょう」と言えないのが、表現の世界だ。かけた時間と労力を知っていれば尚のこと。それでも、もう一度“芥川賞を目指しますか”という質問に対して、尾崎は満点の答えを返してくれた。

「正直、今回の発表前は、“たとえ受賞を逃しても、芥川賞に向けて書くのは今回で最後にしよう”と思っていたんです。あまりにも時間がかかって音楽活動に支障をきたすので。でも、実際に受賞できなかったら、やっぱりちゃんと悔しかったんですよね。この悔しさは、音楽活動では得難い感覚なので、次もまた挑戦したいと思いました。

まだ今はまっさらな状態なんですけど、とにかく新しいものを書きたいです。短編の依頼もいくつかいただいていますし、スピンという文芸誌で連載小説も執筆しているので、これからも小説にしっかり向き合っていきたいです」