“甘デジ”という新ジャンルの誕生により、本来のパチンコの楽しみ方を思い出すことができたヨースケ。でもそれだけでは「ユーチューバー」としてのデビューまで話はつながりません。そう、そこに至るまでには、ある台との運命的な邂逅(かいこう)があったのです!
“甘デジ”黄金世代を堪能していた若かりしヨースケ
僕の初著書『1億2000万分の1の激アツ人生』の発売日まであと2週間を切っちゃたよ。ドキドキしちゃうよ!
しかも、10月24日(土)には都内で出版記念イベントも決定しちゃってね。バクバクしちゃうよ! まあ、整理券は完売したんだけどな(大安堵)。
ところで皆さん『バジリスク』ってご存じですか。と言ってもね、今のパチンコ屋さんに行ったことのある人なら、知らない人はいないと思うんですよ。そうですね。5号機で大ヒットしたパチスロ台『バジリスク絆』(エレコ)。そして令和2年となった今では、6号機で『絆2』が稼働している、あのバジリスクです。
コラムを読む前から、僕を知っている人からすると「ヨースケって、あのバジリスクの、天膳のカッコしてたオッサンでしょ?」って思っている人も多いと思うんです。僕のことを知ってくれている人、ありがとうございます。「薬師寺天膳」というキャラクターのコスプレをやって、パチスロを打ったことによって、ちょっとネットがざわつき始めて、おかげさまで有名になったのは『1GAME』に入って、極めて初期の頃です。
で、なんで「バジリスクだったのか?」という話なんですよね。『1GAME』が本格的に活動を始めた頃には、バジリスク絆がホールを席捲している時期でした。なので「人気機種のキャラクターに乗っかって、天膳だったんでしょ?」と思われる方がいるかもしれません。
……甘い、甘いわ。今、自分で入れたアイスコーヒーの底に溜まってしまったガムシロップくらい甘いです。なぜ、僕が『バジリスク』の「薬師寺天膳」をやるようになったのか、というお話をしましょう。
時は遡ります。2007~2008年、前回の続きの頃です。パチスロで言うと、5号機の初期の頃です。「A+RT」が主流だったのかな。4号機で実現できていたような、幅のあるゲーム性の実現ができなくなった頃でしたね。もうちょっと後になると、いわゆる「ART機」「AT機」といった台が登場し始め、5号機はぐっと面白くなります。しかし、初期の5号機は、残念ながらマトモには打っていなかったですね。
当時、僕は「甘デジ」ばっかりたくさん打ってました。近所のホールがわりと甘デジの台数が多く、力を入れていたこともあるのですが、魅力的な機種が本当に多かったんですよ。
2007年に出た機種を調べてみたら『CR機動新撰組 萌えよ剣』(タイヨーエレック)『CRぱちんこ歌舞伎剣』(KYORAKU)『CRぱちんこ黒ひげ危機一発2』(KYORAKU)といった、甘デジ打ちにとっては伝説となっているような機種がめっちゃリリースされてました。そりゃ、甘にハマるはずだわ。甘デジでも、80%ループのバトルタイプの雰囲気が味わえるってなって興奮したもんなー。