天皇はテンノウでなくスメラギと読まれていた

天皇(テンノウ)という言葉を日本人が普通に使い始めたのは、明治になってからのことです。江戸時代ならミカドとかオカミとかいうのが普通でした。

古代にあっては、スメラギ・スメラミコト・オオキミなどと呼ばれていましたし、大化の改新以前には、漢字をよく使う人は漢族系帰化人など、ごく限られていましたから、それをどう表記するかなどの関心も持たれていませんでした。

しかし、律令国家になれば漢字での称号が必要ですし、外交文書で書く必要も出てきます。そこで天皇という称号が選ばれ、大宝律令で確立します。『日本書紀』には遣隋使の手紙に天皇という言葉が登場しますし、そのころから使われていた可能性はゼロではありませんが、天子とか別の表現だった可能性が高いでしょう。

というのは、中国では唐の第3代皇帝だった高宗が、天皇という称号を使っていたのです。その在位期間も考えると、日本の天皇という表記法は、これを真似たと見るのが合理的だと思います。

▲唐の第3代皇帝 高宗 出典:ウィキメディア・コモンズ

アメノシタシロシメスオオキミ(治天下大王)といった呼称もあったようですから、いかにもぴったりで、唐が天皇という称号を使わなくなっても日本人は使い続けたのではないでしょうか。しかし、天皇と書いても読み方はスメラギなどです。ですから、いつからスメラギに天皇という当て字を使い始めたかということだけが問題なのです。

これは倭国も一緒です。中国語の外交文書では倭国を使っていましたが、それは英文の外交文書にJAPANと書くのと同じです。日本の自称はヤマトでした。奈良県を指す大和国にしても読み方はヤマトで、ただ漢字で書くときは大倭と書き、大養和を経て、国郡名は好字(こうじ)二字に統一する方針が出たので、大和に落ち着いただけです。

日本はヒイズルクニとかヒノモトといった形容を自国にすることがあり、そのうちに、それを漢字で日本と書いて国号とし、大宝律令で確定したと見られます。倭国という漢字の印象を嫌ったということもあったでしょう。

ニッポンは日本の呉音による音読みです。呉音は中国南朝から、おそらく百済経由などで入ってきた漢代の読み方ですが、遣唐使の派遣以降は、唐で使われている漢音と併存しました。漢音では日は「ジツ」と読みます。

いずれにしても、古代人はヤマト言葉で呼んでいたものに、あとになって意訳や当て字で、漢字表記ができあがってきたということが大事な視点なのです。

※本記事は、八幡和郎:著『歴史の定説100の嘘と誤解 世界と日本の常識に挑む』(扶桑社:刊)より一部を抜粋編集したものです。