宇宙を完全に理解するのは難しいが挑戦するべきだ
私たちは宇宙を理解するべきであり、
そしてそれは可能だと
私は信じています。
『ホーキング、未来を語る』より
いつか宇宙を完全に理解する日が来るのかどうかを考えると、そのすべてを理解することはできないだろうけれども、我々人類は一つひとつ学び続け、進化することができる優れた生命体だとは思います。
ただ、宇宙のなかで最も優れた存在かと言えば、なかなかそう思えない部分もありますから、謙虚に一歩一歩、確実に学んでいく必要があるでしょう。
理解するにはとてつもなく深遠で広大な宇宙ですが、ホーキング博士は人類に対して「そこに挑戦するべきだ」という意図で、あえてこのような言葉を使ったような気もします。つまり「探究し続けることに意味がある」ということではないでしょうか。
私は与えられた能力を上手に利用し、自分たちを取り巻くすべての物事の理解に努めていくことは、人類に課せられた使命であるように思います。その興味を失い、歩みを止めたとき、おそらく人類は衰退していくのではないでしょうか。
それぞれの銀河は数えきれないほど多くの星を中にもち、
さらにそれぞれの星の多くが周りに惑星をもっています。
私たちは、そのような無数にある銀河のひとつ、
渦巻き状の形状をもった天の川銀河に住んでいます。
そして、外側の渦巻きのアームにあるひとつの恒星の周りを回っている
ひとつの惑星に住んでいます。
『ホーキング、未来を語る』より
ホーキング博士の言葉から、いかに我々や地球という星の存在が、広大な宇宙の中の一点に過ぎないかという博士の視点がうかがえます。
宇宙には海岸の砂浜の砂粒ほどに無数の星々があって、地球という惑星はその中の一粒に過ぎません。私たちが知らない世界の広大さ、向かうべき領域の深遠さ、学ぶべきことの多様さを考えると、宇宙に対する畏怖の念を抱くとともに、その無限の可能性に心が躍ります。
天文学では古代から「地球は宇宙の中心にあって、太陽や月や星が、この地球の周りを回っている」という天動説が信じられてきましたが、それが科学的な観測技術の発達により、そのドグマを抜け出し、地動説に完全に置き換わったのは、わずか300年ちょっと前のことです。
人類は少しずつ宇宙に対する視野を広げている
「井の中の蛙」であった人類が宇宙のことを知り始めたのは、ほんの最近のことで、それでも科学によって獲得した一つひとつの知見を通して、さまざまなことを学び、少しずつ視野を広げつつあります。
私は埼玉県で生まれ育ちましたが、祖父母の家が九州にあり、幼いころに飛行機に乗って帰省することがありました。そのとき、飛行機の窓から地上を眺め、子ども心に「日本は広いな」と思っていました。
中学2年の夏にアメリカにホームステイしたとき、生まれて初めて日本を出て、いろいろと見聞きするなかで「日本はこんなに小さかったんだ」と思い直しました。もちろんその経験は、あらためて祖国の素晴らしさに気づく機会でもありました。
その経験から約20年後、初めて地球を離れ、スペースシャトルの窓から青い水惑星を眺める機会を得ました。スペースシャトルは、地球を約90分で1周してしまうので「かけがえのない、ふるさと地球はこんなに小さかったんだ」と感じずにはいられませんでした。
人類はこれから自分たちのゆりかごである地球から飛び出し、広大な宇宙への旅を重ねることで、さまざまな新たな知見を得ることでしょう。そして、その経験は私たちが住む星のことをより深く理解し、守っていくことにもつながるものだと思います。
※本記事は、若田光一:著『宇宙飛行士、「ホーキング博士の宇宙」を旅する』(日本実業出版社:刊)より、一部を抜粋編集したものです。